2007年2月17日 (土)

藤崎

Img031_3  りんごの藤崎町。平地にはびっしり、りんご園。

 弘前大農場もある。りんごの研究もしているのだろう。寒さに強く、秋を代表する果物。収穫が待ち遠しい。

 しかし、そんなりんご園も突如として悪魔に襲われる。1991年、超大型台風の津軽上陸。これにより、収穫前のりんごはめちゃくちゃ。ほとんどが落下。農家の人たちは大損害を被った。

 だが、見よ!懸命にこらえ、落ちなかったりんごがあるではないか。「落ちないりんご」。受験生に大人気。捨てるものあれば、拾うものあり。これをかじれば勇気百倍。

 岩木川、浅瀬石川、平川、津軽の三つの大きな川が合流する。鉄道もやがて奥羽線と合流し、川部駅となる。

 (00年)

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林崎

Img030_3  りんご林。なるほど、林崎の「林」は、りんごの木々だったのか!

 まわりは一面、りんごの園。囲まれた。甘くて香ばしい匂いが充満する片面ホーム。

 広い平原にどこまでも続くよ、りんごの木。これはもう、海だ。りんごの海原。五能線は青い海と、赤いりんごの海と、二つの海沿いを走るのだ。

 海にとびこむ海女さんを発見。ここの海女さんは、頭巾で頭を被い、手ぬぐいぶらさげ、ハサミを持っている。甘い海には、波はたたない。おだやか、のどか。

 普通列車が停まれば、車窓ごしに「りんごはいかが?」。間近にりんごを見る。

 このアングルで、駅があることは、感動的ですらあった。

 (00年)

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2007年2月15日 (木)

板柳

Img029_3  津軽といえば、やっぱりりんご。赤くて甘いりんごが沿線をにぎやかにする。

 そして「りんごの町」といえば、ここ板柳。美空ひばり「りんごの花びらが~」の歌がどこからか聞こえてきそうだ。

 正面に岩木山。そしてどこまでも続くりんご園。収穫が待ち遠しい。甘党、果物好きな私は勿論、りんご大賛成。秋になったらかごを持って、分け入ろうりんごの森へ。

 今でこそアップルタウン・板柳が定着しているが、りんごが津軽地方に移植されたのは、そんなに古くはない。元々この町は、岩木川沿いの物資集散地として栄えた。それらを司っていたのが豪商・安田家。商人の町であったのだ。

 それが今やりんご、りんご。岩木山が見守る中、よく実る。太宰治の言葉を借りれば、「満面のりんご園のつきるところに、ふはりと浮かんでいる」というところか。

 NHK大河ドラマ「いのち」の舞台。死に際の老婆は故郷を想い、何度も「津軽に帰りたい、、、。」とつぶやいた。印象的だった。

 (00年)

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2007年2月14日 (水)

鶴泊

Img028_3  「や!富士。いいなあ。」岩木山にむかい、太宰治はおもわずこう叫んだそうだ。

 私も同じ感想。きれいだ。美しい。手前の水田が、またいい演出。

 太宰治は「満面の水田の尽きるところに、ふはりと浮かんでいる」と表現している。

 「ふわりと浮かんでいる」。まわりに障害物もなく、広い津軽平野が山の手前をはき清めているからだろう。「透きとほるくらいにせんけんたる美女ではある。」

 美女?津軽富士は女性であったか。さもありなん。男性的な荒々しさはない。にこやかに微笑む。

 鶴の飛来する鶴田町。鶴が泊まる、「鶴泊」(つるどまり)であった。

 (00年)

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2007年2月13日 (火)

陸奥鶴田

Img027_3  町の形が鶴がはばたくさまに似ているため、鶴田。青森県鶴田町。

 そういわれれば、そう見えないことも、、。でも、実際鶴がやって来るのだろう。単なる願望だけではあるまい。

 その通り。岩木山を映す、津軽富士見湖。そこにかかる鶴の舞橋からよくご覧。丹頂鶴の華麗なダンス。まるで「ニルスの冒険」みたいだ。ここがそうだったのか、、。

 一冬の劇団を、心から歓迎する人々。鶴の里、である。

 岩木山と、踊る鶴。それらを水面に映す、田んぼ。鶴と田、鶴田。雪解け、岩木川の水かさ増すとき、鶴は再びはばたいて行く。

 (00年)

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2007年2月11日 (日)

五所川原

Img026_3  青森県五所川原市、人口5万人。岩木川に沿った、朝市で有名な町。

 10年前、小学生だった私は、父とこの町を訪れた。今回の旅同様、五能線一周だった。けっこう壁の傷んだ宿屋で、朝市が始まるかどうかも関係なく、そそくさとチェックアウトした。急ぎの旅だった、、。

 北国特有のアーケード街は、今も変わらない。夏には「ヤッテマレー」のかけ声、立ねぷた(戦闘ねぷた)、虫おくり、火まつりで賑わう。お祭りの町でもあるのだ。

 津軽藩時代から、豪農が出現。代表的なのが、旧平山家。この平山家は代々広田組の手代、岩木川の堤奉行、五所川原堰奉行などを務め、藩主から絶大の信任を得ていた。

 五所川原分岐、津軽鉄道の生みの親もこの家である。豪農というより、商人に近い。旧平山家住宅は、重要文化財に指定されている。五所川原市というより、平山市といった方がいいかもしれない。

 津軽半島を行く、私鉄・津軽鉄道の始発駅、津軽五所川原駅はすぐ隣にある。冬、ストーブ列車で有名だ。途中の金木は文豪・太宰治の出身地。十三湖の手前、津軽中里まで鉄道はのびている。JR線はこれとは逆に、南下する。

 岩木川の「川原」と、”御所”様、岩木山、で、「五所川原」。そう解釈する。

 (00年)

 

 

 

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2007年2月 8日 (木)

木造

Img025_3  なんだ、これは!?すわ、宇宙人の襲来か!?

 いやいやよく見てみよう、あれは土偶だ。駅が土偶に占拠されている。

 これは駅とイベントホールを兼ねた、木造(きづくり)ふれ愛センターのオブジェ。それにしても巨大だ。正面にどっかりと腰をおろし、にらみつける土偶様。

 本物が見たければ、どうぞ。あるんです、亀々岡遺跡。町の北西、屏風山のふもと。ちょっと遠いが、一見の価値はあるかも。縄文時代の物とみられる、多数のカメや土器、そして土偶が出土。三内丸山遺跡より先に話題になった。

 江戸時代に発掘されたが、乱掘がひどくなり、昭和になって、保護指定。奥津軽に古くから人が住んでいたと証明され、学会で研究の対象となった。駅が土偶であるのは、偶然ではなかったわけだ。

 土偶は祭祀用の人形だと聞かされているが、本当だろうか。どうみても、宇宙人にしか見えない。古代人と宇宙人の相関関係は、いつも話題になる。

 木造町は、「津軽なまこ」と呼ばれた、横綱・旭富士の出身地。挫折からカムバックして、頂点を極めた力士である。

 (00年)

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2007年2月 7日 (水)

中田

Img024_3  津軽の田んぼの中、中田。そのままの駅名。

 海際、波しぶきを受ける五能線が、このあたりは農村の一ローカル線。なんだかイメージが合わない。同じ五能線だというのに。

 森田村は、国道101号線沿いに、道の駅を設けている。

 明治中期建築の茅葺き農家、旧増田家など、鉄道の駅とは違った楽しみを味わえる。増田家は豪農。このあたり一帯の土地はすべて所有していたのだろう。

 中田駅近くは、「ホーハイ節」の里。どういう節まわしか、知らないが、どこか牧歌的な空気のする津軽の農村であった。

 (00年)

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陸奥森田

Img023_3  森田村は、米とりんごの産地。南の岩木山にむかっての丘陵地帯に、りんご園がひろがる。

 農業用のため池があちこちにあって、これが美味しい米作りに貢献しているのだろう。「つがる地球村」の呼称。

 円筒式土器が多数出土した、石神遺跡は駅の近く。縄文時代から、このあたりに人は住んでいた。長い歴史の息づかいを感じる。

 「出土」といえば、米国友好の証、青い目の人形が見つかったこと。戦時中の敵視政策の中、人形に罪なし、としっかりと守った津軽の人のあたたかさ。

 この人情があって、美味しい米ができた。よくかみしめて食べたい。

 (00年)

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2007年2月 4日 (日)

越水

Img022_2  農業用のため池が、あちらこちらに見られる。中には、本物の沼も。

 うっかり足を踏み入れたくはない。底なし沼のような暗い感じのする水溜りがぬろっと草陰に横たわる。

 越水(こしみず)駅は、片面ホームのみの駅だが、なぜかこ線橋がある。むこうとこちらを結ぶためなのだろう。

 がまんできず、駅のトイレ、いやいや「便所」で用をたす。便器の下は”底なし沼”。それこそ足を踏み外したら、さあたいへん。後で肥料にでもするのだろうか、、、。

 手を洗う水がない。越水駅という水の字のつく駅だというのに。あのため池にいっぱい水が、、、。危ない、危ない。

 (00年)

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鳴沢

Img021_3  八森からずっと海沿いを走ってきた。

 ここでようやく海とわかれる。(逆に五所川原方面から来た人は、海との出会い)国道から県道、農道へとスイッチ。

 津軽半島の根元。海岸線は、一直線に北へむかうが、五能線は関係なしとばかりに、平野へとのびる。砂浜は興味がない、磯浜じゃないと、というところか。

 そういえば、砂浜を走る五能線なんて、どうも似合わない。

 鳴沢川に沿って、農業地帯。沼や池が散らばる。太宰治著「津軽」にも鳴沢の地名が見られ、鯵ヶ沢を過ぎると、大戸瀬の奇勝が展開する、と記されている。

 ただ、どうも海ではないところを走る五能線は違和感を感じてしまう。

 (00年)

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2007年2月 2日 (金)

鯵ヶ沢

Img020_3  ここより西は海、東は平野。さて、旅人はどちらへ進むか。

 港町、鯵ヶ沢町に着いた。鎌倉時代から続く、古くからの港町。江戸時代には、津軽藩の要港として、北前船が往来した。

 駅から徒歩15分、元回船問屋の土蔵、②美術館で詳しく知ることができる。なかなか味のある町だ。 

 相撲界のヒーローを生んだ。「平成の牛若丸」「技のデパート」の異名をとる、舞の海。身長171センチ、体重は100キロにも満たない、小兵力士。柔よく剛を制すの格言どおり、その小さな体で、曙、小錦、水戸泉といった、巨漢力士を破った。

 小さくても大きな者に立ち向かう姿に、日本国中の好角家が拍手を送った。残念ながら既に引退したが、その勇姿は未だ人々の記憶に焼きついている。

 津軽藩祖、大浦一族もここから出て、やがて大きな野望、津軽統一を果たす。はじめは小さくとも、やがては大きくなる。

 東にむかう。海が遠ざかる。

 (00年)

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2007年2月 1日 (木)

陸奥赤石

Img019_3  白神山地が源流の赤石川が、海にそそぐ。この川の上流は、渓流釣りのメッカ。

 支流にある「くろくまの滝」は、高さ80メートルをこす、大迫力の作品。夏、涼し、冷気呼ぶ。

 川の中流に種里城址。津軽を平定した、大浦一族の旗揚げの地とされる。岩手・久慈からうつった大浦氏は、徐々に勢力を拡大、5代為信にいたり、悲願の津軽統一を果たす。

 弘前にどんと城をかまえた津軽藩も、基はこんな小さな里から身をおこしたのだ。並々ならぬ苦労があったのだろう。

 それにしても、久慈から同地にうつった発端がわからない。何があったのだろうか。

 (00年)

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2007年1月29日 (月)

陸奥柳田

Img018_3  日本海にのぞむ、陸奥柳田駅。と、改めて申すまでもなく、海岸線の無人駅のひとつ。

 だいたいが、奇岩の磯浜つづきだが、このあたりは平坦な砂浜。水田もところどころに見られる。

 ホームが一段高くなっている。駅舎はその下。住宅の間の物置小屋みたいだ。

 柳田に「陸奥」を冠するのは、秋田県横手市に柳田駅があるからだろう。本家を譲ってしまったわけだが、そう卑下することはない。両駅にどれほどの差があるというのか。

 土地の人は皆、「柳田駅」「やなぎたえき」と呼ぶ。陸奥も羽後もない。

 (00年)

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北金ヶ沢

Img017_3  ここが深浦町の中心地なのでは、と思わせる、わりとにぎやかな集落。

 国道からそれた道を進み、周囲としっくりくる形で、駅がある。北金ヶ沢(きたかねがさわ)駅。

 私は海岸線を南から来た。ここまでの漁村のイメージが一転、たてこんだ集落である。鉄道もせまい軒下をぬうようにして、走っている。

 駅舎も海の駅風ではなく、どちらかというと、山の駅。板張りのかべで、屋根は瓦ぶきではない。

 それでも駅の視線は、しっかり海を向いている。どんな強風がこようとも、波がせまってこようとも。潮風、向かい風、なんのその。

 弁天崎に夕陽が染まり、駅舎もオレンジ色に変わっていくのだろう。

 (00年)

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2007年1月26日 (金)

千畳敷

Img016_3  海にお座敷があらわれた!今からおよそ200年前の1792年(寛政4年)、地震で海底より隆起、突然の出来事。

 とにかくすごい。広い。一体これは何なのか。天からのメッセージか。

 とにかく座敷ができたんだ、盛り上がろう、宴会だ、と、畳をひろげたら、なんと千!千畳敷の大平岩。津軽藩主も訪れた。

 以来、この「上」で、磯遊びにバーベキュー、海水浴と、にぎわうようになった。「門柱」のかぶと岩とセットで、観光地のひとつ。奇勝つづきの沿線で、とうとう親玉のご登場。これぞ五能線の醍醐味。

 でも、この千畳敷、突然出てきたというのが、ひっかかる。いつか海にまた戻るのではないか。ひょっとして、巨大な亀の甲羅の「上」だったりするかもしれない。

 千の畳でのバーベキュー会場、その入口、千畳敷駅が一畳分しかないのが対照的だ。

 (00年)

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大戸瀬

Img015_4  もうこれ以上ないというぐらいまで、海に近づいた駅。五能線自体、びっしり海にはりついて走るが、ここはその中でも、最も波にさらされる、危険ゾーン。

 ホームのむこうは、すぐ青色。標高7.2メートルしかない。大荒れの天候の時はどうするんだろう。もっとも、これは五能線すべてに言えることなのだが。

 大戸瀬(おおどせ)駅の駅舎は、そんな海に背をむけていられるのだろうか。知らないうちに波しぶきがあがり、振り返れば大波が目前に、なんてこともありえるかもしれない。

 しかし、今日の天気は上々。そんな不安もいらぬお世話もない。沖合いに漁船が出て、岩ノリやウニをとる、漁師さんの姿が見られる。

 海と共に生きる人たちには、自然の厳しさが精神の強さでもあるようだ。

 (00年)

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2007年1月23日 (火)

風合瀬

Img014_2  三方からの風が、沖合いでぶつかることから、「風合瀬」(かそせ)。

 いかにも海辺ならではの地名。「驫木」と同じく難読駅名のひとつ。風が合わさり、波をつくる、、、。

 波乗りサーファー、風の谷を制す。大波、小波。波を操ろう。風合瀬海水浴場。今はシーズンオフで、人気はないが、あと数ヶ月でその時を迎える。おおいに期待がもたれる。この地の名にかけて。

 「風」。今日は風がない。ホームの上に立ち、すっと深呼吸してみた。静かな待合室のかべの時刻表が、ぱたぱたとはためく。風はない、はずなのに、、。

 ホーム上の木のオブジェが、いい味を出している。海から流れ着いたのだろうか。風と海からの便りなのかもしれない。

 (00年)

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驫木

Img013_4  海とどろく時、自然の声を聞く。浜辺に打ち寄せる波、いったん怒りだした海には、誰も止める術はない。

 とどろく、とどろき、驫木(とどろき)。本日快晴。波穏やかの浜辺。

 難読名「驫木」は、海でなく、馬三つ。つまり、その昔、天皇が当地を行幸の折、馬が突然騒ぎ出したことから、とする説がある。でも、これだけ波打ち際に近いんだから、海がとどろいた方が説得力がある。

 もしかしたら、その馬は、海のおめき声におびえたのではないか。人間にはない、動物の第六感。敏感に「何か」を感じたに違いない。

 駅舎はいかにも漁村の駅。木造だ。潮風を浴び、さびついた煙突と、屋根。ホームのむこうには、青い海原が両手を広げて待っている。

 (00年)

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2007年1月17日 (水)

追良瀬

Img012_4  三方は崖。一方は海。ここは小さな谷間。

 風除けにはちょうどいい。波もここまでは追ってこないだろう。どかりと腰をおろしたかのように、追良瀬(おいらせ)駅あり。

 このような「空間」が生まれた原因は、川の河口だから。追良瀬川。海に注ぐ。上流を遡れば、白神山地に分け入る。

 渓流の紅葉がきれいで、それ目当てに入って行く人が多いとか。もちろん、渓流釣りも楽しめる。自然満喫。

 ザックをしょって、山へ消えていく冒険者。その後ろ姿をじっと見つめる追良瀬駅。

 (00年)

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広戸

Img011_4  うっかり見落としてしまいそうな、小さな駅。国道脇。

 なんて小さく、面白いような駅。道のすぐ脇に、おいてけぼりにあったみたいに、たたずむ。表札が出ていなかったら、単なる物置小屋くらいにしか見えなかった。

 うっかりそのまま通りすぎてしまいそうだった。こんなに間近にあるというのに。近すぎて逆に見えない、不思議なこと。

 海も近すぎる。その近すぎる海が災いして、昭和47年、波浪による列車脱線転覆事故が発生。機関士一名死亡の惨事を招いた。

 今日の海はおだやか。海は友か敵か。この青い海を見れば、敵としてとらえたくはないのだが。

 (00年)

 

 

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2007年1月14日 (日)

深浦

Img010_4  「夕陽海岸」のある、青森県深浦町。

 陸地にくいこみ、湾曲した深浦漁港。ぐるりと周りを取り囲むようにして、町並みがある。漁船と海鳥。きりたった岩礁。そして小さな港町。

 自然がつくった良港のため、古くから風待ち湊として栄えた。江戸時代には、北前船の最寄り港だった。「北前船の館」で往時を知ることができる。

 当時は帆船。風に影響された。荒ぶる日本海。さぞかし大変だったろう。船乗りの情熱を感じる。

 気になる寺がある。春光山・円覚寺。聖徳太子作といわれる十一面観音を本尊とする歴史ある古刹。青森県最古の木造建築物、厨子の他、日本最古の船絵馬「北国船の絵馬」など「最古」づくしだ。

 ずっと海と関わってきた。だから、埃まみれになることはないのか。奥の深い浦(海)だ。

 (99年)

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横磯

Img009_4  ちっちゃな駅舎がホームの上にのっかっている。

 本当に駅横は、海。白波がたっている。駅入口も「横」向きになっているのは偶然か。

 国道101号線脇。人家のかげに隠れるかのようにして、あった。

 地図には、横磯海釣園と記されてある。海釣りの楽園なのだろうか。何が釣れるのだろう。キャンプ場は多いし、夏などはレジャーで賑わうにちがいない。

 実は今回で二度目の訪問。前回と変わったところといえば、お化粧、白ペンキになったことくらい。

 この位置からでも、潮騒が聞こえる。

 (99年)

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2007年1月12日 (金)

艫作

Img008_5  岬の先端、艫作(へなし)。英国海岸を思わせる断崖が続いている。

 秘密の別荘でも建っていそうな雰囲気だ。すっかり気に入った。

 その秘密の別荘群が今、正に建設中。数年後にはリゾート地ができるとか。中には温泉もあるという。(ウェスパ椿山)

 でも、なんといっても黄金崎・不老不死温泉につきるだろう。海岸の岩をくりぬいた露天風呂。日本海に沈む夕日を正面に、どっぷりと湯につかれば、心は正に天国極楽。

 活力がみなぎり、本当に不死身の体を得たり、と思うのでは。これも白神山地の霊力の賜物なのかもしれない。

 (99年)

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2007年1月 4日 (木)

ウェスパ椿山

Img007_4  「観光」を目玉にと、深浦町が一大リゾート地を開拓。

 開設と共に、2001年12月、新駅誕生となった。

 駅そのものは片面ホームのみであるが、リゾートしらかみ号が停車をし、そこから降り立ち、見る景色は我が目を疑う。ヨーロッパ風の「村」が突如、出現。

 2002年11月、職場の旅行で訪れた。団体旅行は何年ぶりだろうか。

 ホーム脇には白のステージがある。レストラン・カミリア、物産館・コロボックル、ガラス工房HOO、、。村の探索は楽しい。そして、スロープカーのつなぐ風車の丘、白神展望台に立てば、広い海原と白銀の白神山地が望まれる。

 岬、椿山。観光にはもってこいの場所といえるのではないか。

 海岸にある黄金崎・不老不死温泉。露天風呂につかった。夕日が名残惜しいように沈んでいく。この一日は、ウェスパの村民であった。たまにはこんな集団の旅もいい。

 夕日は完全に沈んだ。

 (02年)

 

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陸奥沢辺

Img006_3  海にぐっと突き出た岬。それでも線路と国道は、忠実に海岸線を沿っていく。どんなに回り道になろうとも。近道はしない。

 もっとも、近道は難所の山越えとなるようだが。

 脇に日本海。見下ろすように、白神山地。岬の突端へカーブしながら進むため、山々を背負い込むような格好になる。

 世界遺産、白神山地に後押しされて、今日もここにあり、陸奥沢辺駅。

 「沢辺」とあるが、実際には「海辺」。崖下には、波がせまっている。聞こえてこないか、あの潮の音。さらさら。沢の音にも聞こえるかも。だから、沢辺。

 (99年)

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2006年12月29日 (金)

陸奥岩崎

Img005_5  青森県岩崎村は、南北に長い。海岸線にべっとりとはりつくようにして、のびている。外とを結ぶのは、わずかに国道と鉄道の二本線。

 日本海と白神山地とにはさまれた、猫の額ほどの平地を集落が点在する。ふきつける潮風を真に受ける、漁村の屋根々々。

 岩崎村一の観光名所といったら、十二湖および日本キャニオンだろう。青池と、崖の岩肌が、訪れた人を魅了する。役場のある、陸奥岩崎駅前から、バスで行くことができる。

 しかし、今では白神山地かもしれない。世界遺産に登録された。自由に入山はできないが、ぶな林は必見の価値あり。

 また、一押しスポットとして、海に突き出た岬の、ガンガラ穴。この岬に合わせるように、鉄道も、国道も、トンネルとなっているのが面白い。

 この先、さらに大きな岬があり、そちらへ向かう。駅のおばさんに教えてもらって、近くのラーメン屋の、のれんをくぐった。うまかった。底まで平らげた。

 (99年)

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2006年12月27日 (水)

十二湖

Img004_5  観光地、十二湖(じゅうにこ)。白神山地へとつづく、森に広がるブナの原生林には、実に33もの湖沼が点在する。

 その中で大きい湖が、12コあるのだろうか。それでもたくさんだ。

 何年か前、父と行ったことがあるが、湖それぞれ色が違っていて、神秘的でもあり、不気味でもあった。青色、緑色、鉛色、、、。(さすがに赤色はなかったはず)

 周りを囲むブナの林が、またいい役回りだ。避暑地となりえるかもしれない。

 岩肌が荒々しく露出した、日本キャニオンとセットになっているが、この静かな湖とアンバランスな雰囲気がいい。もっとも岩はさんざん見てきたが。(海岸線にて)

 北欧のフィンランドと姉妹提携を結び、サンタランド白神が作られた。北欧風の、レジャー施設。サンタが降り立つ、メルヘンチックなところへと変わった。

 十二湖駅前、国道をはさんで向かい側には、その名も、サンタクロース岩崎簡易郵便局がある。ソリが、この道を走る日があるのだろうか。

 (99年)

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松神

Img003_4  五能線と国道101号線との並走は続く。海岸線は気持ちがいい。

 海はおだやかだ。このあたりは珍しく、砂浜がひろがっている。

 貨車改造の駅舎の、松神駅。国道脇にあった。「神」とは、白神山地の「神」であろうか。海の反対側をむけば、高い山並みがすぐ近くに見てとれる。

 猫の額ほどの平地に点在する水田。潮風から稲を守るための、よしず張が所々で見られる。その中を、一本のレールがのびている。

 海と山とにはさまれた土地の、作物の成長を願わずにはいられない。海の幸、山の幸。正に、神からの賜り物である。

 (99年)

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2006年12月23日 (土)

陸奥黒崎

Img002_4  海岸沿い、鉄道と国道の並走。

 陸奥黒崎駅入口は、国道側にはあらず、踏切を渡った集落の中にあった。せまい路地の先。おかげでクルマを転回させるのに、大変だった。

 この先、本当に駅があるのかと、不安になった。それもそのはず、ホームと駅舎が道をはさんで、別々になっているのだから。分離されてあるのも、珍しい。

 あたりは漁村だ。海風を心地よく感じる。

 山地に目をやれば、白神岳。世界遺産に登録された、ぶな林が見事な、山脈である。ここは白神山地の足元にあたる。

 ※現在、駅名は「白神岳登山口」へと改称。訪問時は陸奥黒崎なため、そのままで呼ばせていただいた。

 (99年)

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大間越

Img001_3  海際、断崖絶壁。海の波に突き落とされるのではないかと思うくらい、急接近しながら鉄道と国道は走っている。

 潮風を浴びる、レール。並走するは、国道101号線。交差したり、離れたり。岩礁に波の飛沫が飛び散る。秋田、青森県境は、「岬」越え。

 木蓮寺鉄橋からは、見渡す限りの海。列車に乗れば、このまま竜宮城へむかうのでは、と思ってしまうくらいだ。絶景である。

 大間越(おおまごし)駅は、そんな銀河鉄道の海版、ともいえる場所にある。いよいよ五能線も本格的な風景となる。

 目をこらせば、ハマナス群生地。線路脇にひろがっている。海の使いだろうか。

 落ちる夕日と、風にゆれるハマナス。

 (99年)

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2006年6月22日 (木)

岩館

Img097  ごつごつと隆起した岩々が海岸沿いを形どっている。

 砂浜が女性的、というなら、ここは男性的な磯浜だ。岩に波しぶきが砕ける。

 岩館海水浴場は、そうした自然のオブジェの真っ只中にある。夏。ローカル線の小さな駅からまっすぐ、海へ。すぐ、海がひろがる。

 気のゆくまで水に遊び、気がつけば、もう夕暮れ。真っ赤な太陽が、岩の階を染め上げていく、、。想像するだけで、この場所の存在感を知る。

 帰りがけ、もう一度、振り返ろう。海は、またいつか、再会を待っている。

 チゴキ崎の灯台から、先は、もう県境。それにしても見事な風景だ。

 (99年)

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あきた白神

Img096  新設駅。ブナの原生林、世界遺産に登録された、白神山地をバックに、八森町が一大観光地を開設した。

 多目的施設、「ハタハタランド」、ここに誕生。

 とにかくユニーク。ハタハタ館に、八森いさりび温泉。小さな駅をはさんで、キャンプ場、野球場、ゴルフ場、公園、テニスコート、アスレチック、、。存分に楽しめる。

 快速「リゾートしらかみ」が停まるのも、なるほどと思う。観光駅長さんがいるのには驚いた。まだ、できて間もないからだろうか。小さな駅舎に制服姿がマッチする。

 白神山地を大いに宣伝する、そんな空間、そして駅、だった。

 (99年)

 

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滝ノ間

Img095  国道側からは丸見えなのに、駅入り口となると、なかなか見つけづらい。住宅地の路地裏にあった。片面ホームの滝ノ間駅登場。

 駅名は「滝ノ間」、と「ノ」の字だが、集落名は、「滝の間」、と「の」の字がつく。線路脇、ススキがゆれている。

 滝の間海水浴場がある。夏は海水浴客でにぎわうのだろう。しかし秋の海は静か。釣り船が目につくばかりだ。

 海から山に目を転じる。そこには世界遺産、白神山地の姿が見られる。ぶな林につつまれた、日本の、世界に誇る、自然遺産、である。

 (99年)

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2006年6月17日 (土)

八森

Img094  秋田音頭の冒頭、「秋田名物、八森ハタハタ、、」でおなじみ、八森町は漁業の町、ハタハタの町である。

 最近はとれなくなってきたというが、大きな漁場であることには変わりあるまい。男鹿の北浦と並んで、県内を代表するハタハタ漁の町だ。

 目前にぱっと開けた港。波にたゆたう漁船。防波堤に腰をおろし、くつろぐ漁師さん。カモメが舞う岩礁。秋晴れの下、港が輝いて見えた。

 ただ、1983年(昭和58年)の日本海中部地震では、津波押し寄せ、大きな被害を受けたという。沖に出ていた漁船の漁師さんたちも、命がけだったそうだ。海は時におそろしい顔をのぞかせる。

 駅は集落の中にある。商工会館といっしょの、しゃれた駅舎だ。ホームまで続く、長い石段がなかなかいい雰囲気。潮風にあたりたくて、つい途中下車したくなる。

 ハタハタの「ハ」、世界遺産、白神山地の「森」。あわせて「八森」と呼ぼう。

 白神山地はくっきりと、秋晴れの、いい山並みだった。

 (99年)

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東八森

Img093  東八森駅。元々はここが「八森」駅だったそうだが、「東」においやられた。どう見ても「南」にあるというのに。

 小さな無人駅は何も語らない。国道101号線の脇にある。

 いやいや、日本海に日が沈むから、「ひ、がし」、「ひがし」でいいのかも。海がすぐそばに迫ってくる。漁村の風景がひろがる。五能線の本領発揮か。

 面白いのは、国道をはさんで売店があり、そこで切符を求める、こと。別居の真意はいかに。と、いってもすぐ近くのことだが。

 海岸には潮浜温泉。地図には八森油田、とあるが、採れていたのだろうか。背後には白神山地の山並みが見てとれる。砂浜はこのあたりまでで、あとは岩礁地帯に入るようだ。

 小さな駅舎に老婆が一人、すいこまれていく。

 (99年)

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2006年6月15日 (木)

沢目

Img092  たぬきワールド、峰浜村に着いた。能代なしの産地。

 砂浜つづきで、良港に恵まれず、ながらく低迷していたが、新たな村おこしが功を奏した。「たぬき」だ。海沿いの村なのに、なぜ、とは思うが、今やたぬきの里として、毎年、動物や自然に関する童話を全国から募集している。

 宮崎駿監督のアニメで、たぬきをあつかった作品があったが、ここではいち早く上映された。

 何よりも面白いのは、駅舎内に開設されている、「他抜き文庫」だろう。本棚にある本は、その場で読もうと、持ち帰ろうと、自由。また、みんなに読ませたい本があるのなら、文庫に加えてくれ、とある。

 何か本を持って来ればよかったな、と思った。久々に里の人情に触れた気がした。

 丁度列車が来た。たぬきが迎えに来たのかもしれない。

 (97年)

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鳥形

Img091  田んぼの中に、駅。鳥形駅。五能線の写真集には、冬の小雪舞う中、学生たちがホームで、列車を待つさまがうつっていた。

 今日は快晴である。遠く、かすかに世界遺産の白神山地。

 階段をおりた、下の駅舎屋には、ベンチもなければ、ポスターもかかっていない。奥に半分朽ちかけたトイレがあるだけだ。

 よくぞここに駅を設けたものだ、と思うが、これも無人駅の魅力のひとつ。今乗ってきた列車は静かにホームを離れていった。

 その先に白神山地がある。

 (97年)

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2006年6月11日 (日)

北能代

Img090  単線に片面ホーム。貨車改造の駅舎。能代市の北はずれ。これから線路は海の方へとひかれていく。

 国道101号線から脇に入ったところに、あった。

 近くに小土(おづち)という集落がある。戦後、食糧難から同地を開拓した際、たまたま縄文時代の遺跡が発見されたといわれる所だ。

 東北人のルーツかもしれない。考古学は奥が深い。見たところ、なんの変哲もないところにうつるのだが、、。

 能代市の北、北能代。

 (95年)

 

 

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向能代

Img089  能代市は米代川河口の町だ。北へ向かうディーゼルカーは市街地を抜けると、すぐに米代川鉄橋に出る。

 海から吹く強い風のため、時折、橋の中ほどで、列車が立ち往生してしまうという。

 駅がある。これが向能代。(むかいのしろ)文字どおり、川をはさんで、能代市街地と向かい合わせになる。防風林がある点、男鹿線沿線風景に似ている。

 ここより海側に行くと、能代海水浴場。そして能代温泉。保養施設を拡充して、活性化につとめているという。

 岩館方面から列車がやってきた。夜に、能代の町明かりを見たら、ほっとするのではないだろうか。

 (95年)

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能代

Img088  木材の町、秋田県能代市、人口5万強。本州日本海側、最北の都市である。

 能代春慶塗とバスケットが、この町の大きな売りもの。特に能代工業高校は全国大会に何度も出場する強豪校。全国に名を知られ、スター選手も生み出す。ホームにバスケットのカゴが用意されているくらいだ。

 中世から、日本海東廻り航路の主要な港として栄えた。佐竹藩当時も、木材を積んだ舟を頻繁に送り出していたという。今も能代港は、この地域ではかなりの貫禄をもった港として君臨する。

 しかし、木材の町であることの宿命というべきか、何度となく大火に見舞われた。そのため、町の道路はわりと広くとられ、防災運動にも積極的だ。

 夏に行ったときには、丁度「城郭七夕」の最中で、豪勢なおみこしが町内を練り歩いていた。9月には「おなごりフェスティバル」が開かれる。東北のお祭りが一同に会する、お得なお祭り。銘菓「しんこ餅」とあわせて、能代のみせもの。

 能代春慶塗は漆塗りとしては、全国三本の指に入るという逸品。木材と塗り物の組み合わせは、奇妙でいて、面白い。

 五能線、一つ目の駅は木造の能代駅。能代市の中心駅である。やがて、川を目にする。米代川。風が強い。海からの風。

 (95年)

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