藤崎
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津軽といえば、やっぱりりんご。赤くて甘いりんごが沿線をにぎやかにする。
そして「りんごの町」といえば、ここ板柳。美空ひばり「りんごの花びらが~」の歌がどこからか聞こえてきそうだ。
正面に岩木山。そしてどこまでも続くりんご園。収穫が待ち遠しい。甘党、果物好きな私は勿論、りんご大賛成。秋になったらかごを持って、分け入ろうりんごの森へ。
今でこそアップルタウン・板柳が定着しているが、りんごが津軽地方に移植されたのは、そんなに古くはない。元々この町は、岩木川沿いの物資集散地として栄えた。それらを司っていたのが豪商・安田家。商人の町であったのだ。
それが今やりんご、りんご。岩木山が見守る中、よく実る。太宰治の言葉を借りれば、「満面のりんご園のつきるところに、ふはりと浮かんでいる」というところか。
NHK大河ドラマ「いのち」の舞台。死に際の老婆は故郷を想い、何度も「津軽に帰りたい、、、。」とつぶやいた。印象的だった。
(00年)
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青森県五所川原市、人口5万人。岩木川に沿った、朝市で有名な町。
10年前、小学生だった私は、父とこの町を訪れた。今回の旅同様、五能線一周だった。けっこう壁の傷んだ宿屋で、朝市が始まるかどうかも関係なく、そそくさとチェックアウトした。急ぎの旅だった、、。
北国特有のアーケード街は、今も変わらない。夏には「ヤッテマレー」のかけ声、立ねぷた(戦闘ねぷた)、虫おくり、火まつりで賑わう。お祭りの町でもあるのだ。
津軽藩時代から、豪農が出現。代表的なのが、旧平山家。この平山家は代々広田組の手代、岩木川の堤奉行、五所川原堰奉行などを務め、藩主から絶大の信任を得ていた。
五所川原分岐、津軽鉄道の生みの親もこの家である。豪農というより、商人に近い。旧平山家住宅は、重要文化財に指定されている。五所川原市というより、平山市といった方がいいかもしれない。
津軽半島を行く、私鉄・津軽鉄道の始発駅、津軽五所川原駅はすぐ隣にある。冬、ストーブ列車で有名だ。途中の金木は文豪・太宰治の出身地。十三湖の手前、津軽中里まで鉄道はのびている。JR線はこれとは逆に、南下する。
岩木川の「川原」と、”御所”様、岩木山、で、「五所川原」。そう解釈する。
(00年)
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いやいやよく見てみよう、あれは土偶だ。駅が土偶に占拠されている。
これは駅とイベントホールを兼ねた、木造(きづくり)ふれ愛センターのオブジェ。それにしても巨大だ。正面にどっかりと腰をおろし、にらみつける土偶様。
本物が見たければ、どうぞ。あるんです、亀々岡遺跡。町の北西、屏風山のふもと。ちょっと遠いが、一見の価値はあるかも。縄文時代の物とみられる、多数のカメや土器、そして土偶が出土。三内丸山遺跡より先に話題になった。
江戸時代に発掘されたが、乱掘がひどくなり、昭和になって、保護指定。奥津軽に古くから人が住んでいたと証明され、学会で研究の対象となった。駅が土偶であるのは、偶然ではなかったわけだ。
土偶は祭祀用の人形だと聞かされているが、本当だろうか。どうみても、宇宙人にしか見えない。古代人と宇宙人の相関関係は、いつも話題になる。
木造町は、「津軽なまこ」と呼ばれた、横綱・旭富士の出身地。挫折からカムバックして、頂点を極めた力士である。
(00年)
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港町、鯵ヶ沢町に着いた。鎌倉時代から続く、古くからの港町。江戸時代には、津軽藩の要港として、北前船が往来した。
駅から徒歩15分、元回船問屋の土蔵、②美術館で詳しく知ることができる。なかなか味のある町だ。
相撲界のヒーローを生んだ。「平成の牛若丸」「技のデパート」の異名をとる、舞の海。身長171センチ、体重は100キロにも満たない、小兵力士。柔よく剛を制すの格言どおり、その小さな体で、曙、小錦、水戸泉といった、巨漢力士を破った。
小さくても大きな者に立ち向かう姿に、日本国中の好角家が拍手を送った。残念ながら既に引退したが、その勇姿は未だ人々の記憶に焼きついている。
津軽藩祖、大浦一族もここから出て、やがて大きな野望、津軽統一を果たす。はじめは小さくとも、やがては大きくなる。
東にむかう。海が遠ざかる。
(00年)
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海にお座敷があらわれた!今からおよそ200年前の1792年(寛政4年)、地震で海底より隆起、突然の出来事。
とにかくすごい。広い。一体これは何なのか。天からのメッセージか。
とにかく座敷ができたんだ、盛り上がろう、宴会だ、と、畳をひろげたら、なんと千!千畳敷の大平岩。津軽藩主も訪れた。
以来、この「上」で、磯遊びにバーベキュー、海水浴と、にぎわうようになった。「門柱」のかぶと岩とセットで、観光地のひとつ。奇勝つづきの沿線で、とうとう親玉のご登場。これぞ五能線の醍醐味。
でも、この千畳敷、突然出てきたというのが、ひっかかる。いつか海にまた戻るのではないか。ひょっとして、巨大な亀の甲羅の「上」だったりするかもしれない。
千の畳でのバーベキュー会場、その入口、千畳敷駅が一畳分しかないのが対照的だ。
(00年)
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もうこれ以上ないというぐらいまで、海に近づいた駅。五能線自体、びっしり海にはりついて走るが、ここはその中でも、最も波にさらされる、危険ゾーン。
ホームのむこうは、すぐ青色。標高7.2メートルしかない。大荒れの天候の時はどうするんだろう。もっとも、これは五能線すべてに言えることなのだが。
大戸瀬(おおどせ)駅の駅舎は、そんな海に背をむけていられるのだろうか。知らないうちに波しぶきがあがり、振り返れば大波が目前に、なんてこともありえるかもしれない。
しかし、今日の天気は上々。そんな不安もいらぬお世話もない。沖合いに漁船が出て、岩ノリやウニをとる、漁師さんの姿が見られる。
海と共に生きる人たちには、自然の厳しさが精神の強さでもあるようだ。
(00年)
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三方からの風が、沖合いでぶつかることから、「風合瀬」(かそせ)。
いかにも海辺ならではの地名。「驫木」と同じく難読駅名のひとつ。風が合わさり、波をつくる、、、。
波乗りサーファー、風の谷を制す。大波、小波。波を操ろう。風合瀬海水浴場。今はシーズンオフで、人気はないが、あと数ヶ月でその時を迎える。おおいに期待がもたれる。この地の名にかけて。
「風」。今日は風がない。ホームの上に立ち、すっと深呼吸してみた。静かな待合室のかべの時刻表が、ぱたぱたとはためく。風はない、はずなのに、、。
ホーム上の木のオブジェが、いい味を出している。海から流れ着いたのだろうか。風と海からの便りなのかもしれない。
(00年)
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海とどろく時、自然の声を聞く。浜辺に打ち寄せる波、いったん怒りだした海には、誰も止める術はない。
とどろく、とどろき、驫木(とどろき)。本日快晴。波穏やかの浜辺。
難読名「驫木」は、海でなく、馬三つ。つまり、その昔、天皇が当地を行幸の折、馬が突然騒ぎ出したことから、とする説がある。でも、これだけ波打ち際に近いんだから、海がとどろいた方が説得力がある。
もしかしたら、その馬は、海のおめき声におびえたのではないか。人間にはない、動物の第六感。敏感に「何か」を感じたに違いない。
駅舎はいかにも漁村の駅。木造だ。潮風を浴び、さびついた煙突と、屋根。ホームのむこうには、青い海原が両手を広げて待っている。
(00年)
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陸地にくいこみ、湾曲した深浦漁港。ぐるりと周りを取り囲むようにして、町並みがある。漁船と海鳥。きりたった岩礁。そして小さな港町。
自然がつくった良港のため、古くから風待ち湊として栄えた。江戸時代には、北前船の最寄り港だった。「北前船の館」で往時を知ることができる。
当時は帆船。風に影響された。荒ぶる日本海。さぞかし大変だったろう。船乗りの情熱を感じる。
気になる寺がある。春光山・円覚寺。聖徳太子作といわれる十一面観音を本尊とする歴史ある古刹。青森県最古の木造建築物、厨子の他、日本最古の船絵馬「北国船の絵馬」など「最古」づくしだ。
ずっと海と関わってきた。だから、埃まみれになることはないのか。奥の深い浦(海)だ。
(99年)
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開設と共に、2001年12月、新駅誕生となった。
駅そのものは片面ホームのみであるが、リゾートしらかみ号が停車をし、そこから降り立ち、見る景色は我が目を疑う。ヨーロッパ風の「村」が突如、出現。
2002年11月、職場の旅行で訪れた。団体旅行は何年ぶりだろうか。
ホーム脇には白のステージがある。レストラン・カミリア、物産館・コロボックル、ガラス工房HOO、、。村の探索は楽しい。そして、スロープカーのつなぐ風車の丘、白神展望台に立てば、広い海原と白銀の白神山地が望まれる。
岬、椿山。観光にはもってこいの場所といえるのではないか。
海岸にある黄金崎・不老不死温泉。露天風呂につかった。夕日が名残惜しいように沈んでいく。この一日は、ウェスパの村民であった。たまにはこんな集団の旅もいい。
夕日は完全に沈んだ。
(02年)
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青森県岩崎村は、南北に長い。海岸線にべっとりとはりつくようにして、のびている。外とを結ぶのは、わずかに国道と鉄道の二本線。
日本海と白神山地とにはさまれた、猫の額ほどの平地を集落が点在する。ふきつける潮風を真に受ける、漁村の屋根々々。
岩崎村一の観光名所といったら、十二湖および日本キャニオンだろう。青池と、崖の岩肌が、訪れた人を魅了する。役場のある、陸奥岩崎駅前から、バスで行くことができる。
しかし、今では白神山地かもしれない。世界遺産に登録された。自由に入山はできないが、ぶな林は必見の価値あり。
また、一押しスポットとして、海に突き出た岬の、ガンガラ穴。この岬に合わせるように、鉄道も、国道も、トンネルとなっているのが面白い。
この先、さらに大きな岬があり、そちらへ向かう。駅のおばさんに教えてもらって、近くのラーメン屋の、のれんをくぐった。うまかった。底まで平らげた。
(99年)
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観光地、十二湖(じゅうにこ)。白神山地へとつづく、森に広がるブナの原生林には、実に33もの湖沼が点在する。
その中で大きい湖が、12コあるのだろうか。それでもたくさんだ。
何年か前、父と行ったことがあるが、湖それぞれ色が違っていて、神秘的でもあり、不気味でもあった。青色、緑色、鉛色、、、。(さすがに赤色はなかったはず)
周りを囲むブナの林が、またいい役回りだ。避暑地となりえるかもしれない。
岩肌が荒々しく露出した、日本キャニオンとセットになっているが、この静かな湖とアンバランスな雰囲気がいい。もっとも岩はさんざん見てきたが。(海岸線にて)
北欧のフィンランドと姉妹提携を結び、サンタランド白神が作られた。北欧風の、レジャー施設。サンタが降り立つ、メルヘンチックなところへと変わった。
十二湖駅前、国道をはさんで向かい側には、その名も、サンタクロース岩崎簡易郵便局がある。ソリが、この道を走る日があるのだろうか。
(99年)
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秋田音頭の冒頭、「秋田名物、八森ハタハタ、、」でおなじみ、八森町は漁業の町、ハタハタの町である。
最近はとれなくなってきたというが、大きな漁場であることには変わりあるまい。男鹿の北浦と並んで、県内を代表するハタハタ漁の町だ。
目前にぱっと開けた港。波にたゆたう漁船。防波堤に腰をおろし、くつろぐ漁師さん。カモメが舞う岩礁。秋晴れの下、港が輝いて見えた。
ただ、1983年(昭和58年)の日本海中部地震では、津波押し寄せ、大きな被害を受けたという。沖に出ていた漁船の漁師さんたちも、命がけだったそうだ。海は時におそろしい顔をのぞかせる。
駅は集落の中にある。商工会館といっしょの、しゃれた駅舎だ。ホームまで続く、長い石段がなかなかいい雰囲気。潮風にあたりたくて、つい途中下車したくなる。
ハタハタの「ハ」、世界遺産、白神山地の「森」。あわせて「八森」と呼ぼう。
白神山地はくっきりと、秋晴れの、いい山並みだった。
(99年)
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東八森駅。元々はここが「八森」駅だったそうだが、「東」においやられた。どう見ても「南」にあるというのに。
小さな無人駅は何も語らない。国道101号線の脇にある。
いやいや、日本海に日が沈むから、「ひ、がし」、「ひがし」でいいのかも。海がすぐそばに迫ってくる。漁村の風景がひろがる。五能線の本領発揮か。
面白いのは、国道をはさんで売店があり、そこで切符を求める、こと。別居の真意はいかに。と、いってもすぐ近くのことだが。
海岸には潮浜温泉。地図には八森油田、とあるが、採れていたのだろうか。背後には白神山地の山並みが見てとれる。砂浜はこのあたりまでで、あとは岩礁地帯に入るようだ。
小さな駅舎に老婆が一人、すいこまれていく。
(99年)
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砂浜つづきで、良港に恵まれず、ながらく低迷していたが、新たな村おこしが功を奏した。「たぬき」だ。海沿いの村なのに、なぜ、とは思うが、今やたぬきの里として、毎年、動物や自然に関する童話を全国から募集している。
宮崎駿監督のアニメで、たぬきをあつかった作品があったが、ここではいち早く上映された。
何よりも面白いのは、駅舎内に開設されている、「他抜き文庫」だろう。本棚にある本は、その場で読もうと、持ち帰ろうと、自由。また、みんなに読ませたい本があるのなら、文庫に加えてくれ、とある。
何か本を持って来ればよかったな、と思った。久々に里の人情に触れた気がした。
丁度列車が来た。たぬきが迎えに来たのかもしれない。
(97年)
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木材の町、秋田県能代市、人口5万強。本州日本海側、最北の都市である。
能代春慶塗とバスケットが、この町の大きな売りもの。特に能代工業高校は全国大会に何度も出場する強豪校。全国に名を知られ、スター選手も生み出す。ホームにバスケットのカゴが用意されているくらいだ。
中世から、日本海東廻り航路の主要な港として栄えた。佐竹藩当時も、木材を積んだ舟を頻繁に送り出していたという。今も能代港は、この地域ではかなりの貫禄をもった港として君臨する。
しかし、木材の町であることの宿命というべきか、何度となく大火に見舞われた。そのため、町の道路はわりと広くとられ、防災運動にも積極的だ。
夏に行ったときには、丁度「城郭七夕」の最中で、豪勢なおみこしが町内を練り歩いていた。9月には「おなごりフェスティバル」が開かれる。東北のお祭りが一同に会する、お得なお祭り。銘菓「しんこ餅」とあわせて、能代のみせもの。
能代春慶塗は漆塗りとしては、全国三本の指に入るという逸品。木材と塗り物の組み合わせは、奇妙でいて、面白い。
五能線、一つ目の駅は木造の能代駅。能代市の中心駅である。やがて、川を目にする。米代川。風が強い。海からの風。
(95年)
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