2008年5月15日 (木)

黒石

Img083  弘南鉄道弘南線の終着駅、黒石。人口4万弱、青森県黒石市の玄関。

 駅舎はコープ黒石店と合体。黒石線廃止に伴い、単独の終着駅となっている。

 弘前城主、津軽家の分家が入る。黒石藩1万石となる。津軽支藩。物資の集散地として栄え、市内の辻々には往時の面影が残る。

 こみせ通りと呼ばれる通りには、昔ながらの商家が軒を連ねている。酒屋、蔵、呉服屋、旅籠、、、。タイムスリップしたような感覚。特に高橋家は、藩御用達の商家で、その邸宅は重要文化財に指定されているほどだ。

 こみせ通り、そのものも文化財指定で構わないと思う。歴史の生き字引。9月にはこみせ祭りが行われる。この商店街にシャッターがおろされる日はないであろう。黒石よされ、黒石ねぷた、、。お祭り騒ぎ。

 劇作家・秋田雨雀(1883~1962)の出身地でもある。

 黒石りんごをかじりながら、どっぷり黒石温泉郷の湯に浸かろう。青荷温泉のランプが揺れる時、津軽の奥深さを知る。浅瀬石川の流れが止まらないくらい。

 東津軽のおさえ、黒石市。

 (00年)

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境松

Img082  浅瀬石川を渡れば、黒石市街。終点は近い。

 境松駅の近くに、本物の境松。そのいわれについては、詳しくは知らないが、昔からのシンボルであろう。松は手入れが大変と聞く。今日まであるのは、人々のおかげ。

 さて、この駅を出ると、線路は右手に急カーブ。残るは終点、黒石駅のみ。以前は左手から弘南鉄道黒石線があらわれ、合流し、仲良くゴール。の、運びであったが、惜しいかな、黒石線は廃止された。

 だから、現在は、誰と手をにぎることもなく、孤独にゴール。松の木は残っているのに、鉄道はなくなる。人の世の移り変わりは、何にもまして、辛い。

 黒石市の街が見えてきた。

 (00年)

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2008年5月14日 (水)

田舎舘

Img081  自ら、田舎(いなか)と宣言する、珍しい名前、田舎舘(いなかだて)村。

 その正直さがいい。都会がよくて、田舎がだめ、なんて誰が決めたのだ。東はずれの田舎舘駅に、西はずれの川部駅、と、村の中心部から駅が離れているのはどうかと思うが、いずれ、田舎万歳、来たれ田舎で頑張ってほしい。

 この村には垂柳遺跡がある。弥生時代の遺構とされる。稲作の証明である、水田跡が発見され、古くからこの地に村があったことが判明した。

 当時から田舎舘村、そして田舎舘米が存在していたのか、新鮮な驚き。もしかしたら、ここは一大都市だったのかもしれない。だとしたら、都会舘か。いやいや語呂が悪い。田舎舘でいいのかも。

 青々とした木の葉がおおいかぶさっている。いかにも停車場、といった風情の田舎舘駅であった。

 (00年)

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尾上高校前

Img080  最近できた駅のようだ。私の地図には載っていない。

 平賀駅の時刻表を見て、はじめてその存在を知る。あぶなかった。知らずに通り過ぎるところだった。こういうこともあるから、油断できない。

 水田に囲まれた無人駅だが、近くに校舎がたつ。これが件の尾上高校だろう。元々ここにあったのだろうか。それともどこかから移転してきたのか。わからない。

 柏農高校のように、近くに駅を、との要望で、できたものと解釈する。

 学校がなかったら、絶対このような所に駅はないだろう。なんといっても周りは田んぼ。

 ホームへ行く舗装道路が、あぜ道へのアクセスみたいで、なんだかおかしい。

 (00年)

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2008年5月 1日 (木)

津軽尾上

Img079  東津軽、尾上(おのえ)町。猿賀神社は農業、漁業、海陸交通の守護神がまつられた、この町の神棚。

 内陸なのに漁業?とは思うが、全てに精通した神々ということだろう。けっこうありがたい神社らしい。猿賀温泉と合わせて、町一番のスポットだ。

 で、その神社の拝殿を真似て、駅の屋根はご覧のとおりの、神殿造り。大きく翼をひろげたような、いかめしい構えだ。でも、これだけの規模の屋根で、平屋建てでは、、。

 雨の日など、軒下に立てば、大変そう。雨水たれる、屋根の下。もしかして、平屋建てに見えて、実は地中深く、何階建てにもなっているのかもしれない。と、すると、中に地下へ通じる隠し階段か何かが、、。!謎は秘密を呼ぶ。

 一直線上に岩木山が仰げる。初夏の尾上町。

 (00年)

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柏農高校前

Img078  弘前を出てから、ずっと東へ進んでいた弘南線も、平賀を過ぎれば、にわかに進行方向を北に変える。ようやく目標が黒石であることが、わかったかのように。

 津軽よされライン、南津軽広域農道、と道路も北へ建設中。

 平賀の街並みが途絶え、一面に水田が広がる。津軽米の宝庫。そんな中を、弘南線のレールは走っている。

 片面ホームの無人駅、あらわれる。柏農高校前駅。私の地図には、「はくのうこうまえ」とあるが、実際は「はくのうこうこうまえ」と「高校」は省略されていなかった。

 それはそう、しっかり校舎は建っている。近くに学校がある。

 (00年)

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2008年4月29日 (火)

平賀

Img077  平賀町農協と一体になった、巨大な駅舎、平賀(ひらか)駅。本社と車庫がある。

 弘前駅を除けば、沿線で最大級の駅舎屋だろう。「ひらが」ではなく、「ひらか」。

 弘南線の本社と車庫があるから、この規模の駅なのか。驚いた。この駅舎を見て。想像をはるかにこえていた。、、本社は弘前か黒石にあるかと思ったら、ここ平賀にあった。さらに農協も便乗して、駅はビル化した。2階以上は、農協関連のオフィスだろう。

 それにしても、この弘南線、ローカル私鉄とはいえ、全線電化されている。この一事をもってしても、すごいことだと思う。

 守護神、岩木山が見える。すべてに目をむけ、全方位にひらかれた、平賀町。

 (00年)

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2008年4月17日 (木)

館田

Img076  平川を渡る。渡りきれば、平賀町。町の中心地へ向かって、道は続いている。

 平川を越えた、最初の十字路を右折して進むと、踏切。この踏切の脇に駅がある。館田(たちた)駅。駅前に広場が設けられている。

 なんとなく昔ながらの米蔵、といった感じだ。少し奥まったところにあるから、なおさらだ。壁も色あせている。あの重そうな扉を開ければ、もあっと異種独特のにおいが鼻をつくのではないか。

 駅の待合室では、駅員のおじいさんと、ベンチに腰をおろしたおばあさんとが雑談をしている。共通語は津軽弁。そして共通の空間。館田駅。皆、知り合い。

 (00年)

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新里

Img075  弘南線は、東へと進む。黒石へはクルマでは、国道102号線で行けば直線距離で近いが、線路はわざわざう回路で行く。

 国道7号線から外れた農道づたいに行ったところに、新里(にさと)駅。平川の手前。

 なかなか趣のある駅舎。だいぶ傷んだ木造建築。かつての分教場のような雰囲気。自販機と電話ボックスがなければ、そのまま明治大正期といっても通る、古いつくり。

 風に運ばれて、何か音でも聞こえてきそう。がらんとした待合室。ホームにも全く人の気配がない。誰か、人がいたら、そのままモデルになりそうだ。たそがれの田舎の停車場。

 いつも変わらない姿で、ここにある。

 (00年)

 

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2008年4月10日 (木)

運動公園前

Img074  運動競技場の一角にある、駅。「公園前」というより「公園後」とした方がいいかも。

 公園の中を突っ切って、駅に辿り着いた。サッカー場に陸上競技場。児童遊園地など、なるほど、どこでも目にする運動公園。

 このホームに降り立ち、気合をこめて、試合にのぞむ選手たち。熱い鼓動。そろって流した汗と涙、、。青春の炎がたぎりたつ。感動のドラマは、この駅から、この公園から生まれたのか。

 丁度、サッカーの試合があった。何の大会だろう。、、津軽の春、である。

 水飲み場の、ぬるい水が、妙に懐かしい味がした。

 (00年)

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東工業高前

Img073  線路が奥羽線から離れたところで、駅。

 だから、奥羽線は、すぐ近くを走っている。弘前駅とは僅かしか距離はない。駅舎は弘南線踏切と奥羽線踏切との間の中洲に、放り込まれたようにある。

 以前は、南弘前、と名乗った。東工業高前、というからには、近くにそれらしき学校が、、、。あの建物がそうなのか、、。いや、よくわからない。

 周囲に不釣合いな程、古ぼけた駅舎。隣にコンビニが建っているが、このみずみずしさと、どうも比較してしまう。暗くてどんよりとした駅と、明るく元気なコンビニ。隣同士。奇妙な組み合わせ。

 駅の二階部分は、使われているのか、薄暗い。

 (00年)

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