2007年8月21日 (火)

左沢

Img010  短いトンネルを二つばかり抜けると、大江町に入る。最上川が間近にせまり、集落がたてこんだところで、終点、左沢駅。「あてらざわ」。難読駅名。線路がここで途絶える。

 私はクルマで来たが、本当に最上川の眺めがいい。すぐ近くだ。

 ここは古くから舟運で栄えた町だそうで、近くの楯山公園には最上川舟唄発祥記念碑がたつとか。船頭さんの舟唄、ここで生まれたのか。

 一軒宿の左沢温泉。朝日連峰の登山基地となる。険しい山々に分け入る冒険者は、ここで一泊、英気を養う。伝統の花火大会の花火も、彼らの目には入らないであろう。外部の者を寄せ付けない、自然の壁。

 たちはだかるものと、挑戦するもの。舟唄の響く、ゆったりとした川の流れと、強きものに歯向かう激流の鼓動。私はもうつきあわない。ここからは己の力のみで進まれよ。

 じっと見つめる左沢駅。終着駅。線路の途切れた先に、一歩、足を踏み入れる勇者。私はここまで。凡人はただ引き返すのみ。

 そんな私をあざけっているのか、悲しんでいるのか、知らない。後ろは振り返らない。

 (01年)

 

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柴橋

Img009  もう何のためらいもなく、西に向かう。国道287号線とは一歩距離をおいた県道で、左沢入りすることにした。

 なんのことはない。この県道づたいに駅があるからだ。柴橋(しばはし)駅。さて問題なのは、この駅の「高さ」。

 標高275メートルの小さな平野山。その斜面にあるからだろうか、見上げる位置にある。入口なんて、登山道そのもの。駅に行くのではなく、山に入るみたいだ。

 当然、駐車場なんてないから、クルマを路上に停めた。そうしたら、近くの家の人が出てきて、クルマのそばで雪かきを始めるではないか。あわてて、クルマを発進。お邪魔をしました。

 今まで平地続きだったのに、山がせまり、様相は一変。私は慌て顔、形相一変。

 (01年)

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2007年8月15日 (水)

羽前高松

Img008  西行きをしぶっていた線路も、ようやく決意。ただ心からそう望んでいたわけではないらしい。むしろ左沢側が強引に引き寄せた感じだ。

 大きくカーブしたレール。むずがる子を誘導するように、羽前高松駅。もっとも、この駅に行くために、いったん西に、戻る形で北を進んでたどり着いた。めんどうだった。

 金沢、長崎、があって、今度は高松。羽前を冠しているが、理由はなんなのだろう。

 慈恩寺。そうとう古い。聖武天皇の天平年間に開基されたといわれる。慈恩宗の総本山で、境内の三重塔が見事だとか。この寺があるから、わざわざ遠回りさせたのかも。そうさせるだけの貫禄、充分にある。

 寒河江川にかかる臥竜橋。渡った左手が、もう出羽三山の神域。国道112号線もここから険しい山越えを決意する。まさに神の山々の御前である。

 畏れおおくて、近づけない、とばかりに線路はそれていく。追いかけるように、私も元来た道を引き返す。

 (01年)

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西寒河江

Img007  線路は中途半端に西に折れるが、やはり北をめざす。

 つきあいきれない、とばかりに、道路は西に向かう。踏切脇の西寒河江駅。ここで少しのおわかれである。

 西寒河江といっても、実際は北寒河江。レールだけが北に行きたがっているようだ。

 桜の木の下の西寒河江は、南寒河江と同じ日に誕生した双子駅でもある。そういえば、駅のつくりも似ているような。どちらも踏切脇にあるし、看板の位置もそっくり。

 寒河江駅をはさんで、ミラーになっているのかもしれない。

 それはさておき、とにかく西、左沢方面へとむかう。線路から離れてしまうのは、不安だが、これは道路がそうさせるものであって、どうすることもできない。

 (01年)

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2007年8月 7日 (火)

寒河江

Img006  山形県寒河江市、人口4万。左沢線、沿線最大の町。(始発の山形を除く)寒河江線、といったほうがよいのかもしれない。

 最上川と寒河江川に包まれた、さくらんぼの町である。収穫期ともなれば、広く一般の人に農場を開放し、さくらんぼ狩りを楽しめる。

 そして町をあげての、さくらんぼ祭り。名物、種とばし大会では、その飛距離を競う。面白い企画で、今や全国に知れわたった。ただ間違っても飲み込まないように、、。

 さくらんぼの他には寒河江温泉に、つつじ園。また、同市はコンビーフの生産高全国80%を占め、ガラス工芸、ぞうりも生産しているマルチぶり。国道112号線、バイパス沿いに道の駅・寒河江があり、そこで郷土物産を一気に買い求められる。5年ぶりにまた行くことにする。お土産、ざくざく買って、ぽんと種をとばそう。

 歴史的に見ると、最上家の寒河江攻略と、反乱、服属。関ヶ原の合戦の東北版では、庄内の上杉軍は、なんと出羽三山越え(六十里越街道)をして、ここまで攻め込んだ。新庄方面に攻め込んだ軍とまもなく合流。いよいよ山形は苦境に立つ。

 それにしても、あの険しい山を越えるとは、、、。種とばし、山をもとばす。

 (01年)

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南寒河江

Img005  最上川にかかる長崎大橋を渡り、寒河江市に入る。

 国道112号線はバイパスとなるため、市街地を行きたい私は、左折、道をかえる。山形自動車道の下をくぐる前に南寒河江駅。踏切脇の無人駅。

 と、こう書くと、簡単に発見したように聞こえるが、そうではなかった。駅案内標識もなければ、それらしい脇道も見当たらない。いったん寒河江駅に行って、また戻って、探した。

 コンビニの駐車場にクルマを停め、歩いて探そうとしたら、なんとこのコンビニの後に駅があった。隠れていたのだ。

 またしても、踏切脇の駅。このパターンが多い。クルマだと入りづらい。できればよしてもらいたい立地条件。

 (01年)

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2007年8月 1日 (水)

羽前長崎

Img004  それてはしっていた国道112号線も合流。中山町に入る。

 その代表駅がここ、羽前長崎。中山町なのだから、「羽前中山」にすればいいのに、と思いきや、すでに同名の駅は存在していた。(同じ山形県内、上山市、奥羽本線、羽前中山駅)

 駅前が閑散としているのが気になるが、これは商店街からそれているせいだろう。

 この中山町は山形県のほぼ中央、「山形のへそ」である。しかし、面積は山形一小さい。だからといって、山形のへその穴は小さい、というわけではない。なんといってもプラム(すもも)生産高日本一なのだから。

 町はせまくても、すもも畑は広い。おなかを、そして心まで広くする果物たち。出番はいつくるか、早く早く。

 食欲の秋ともなれば、最上川沿いで「芋煮」。そしてスポーツの秋とくれば、山形県営野球場。と、今は秋ではないが、一足早く秋をお届けしたい、中山町であった。

 金沢(実際にはかねざわ)、そして長崎。羽前を冠しているのが、なんとなくほほえましい。、、、よくある地名なのかもしれない。

 (01年)

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羽前金沢

Img003  西にむかっていた左沢線、羽前山辺駅から進路を北にとる。

 農道もごいっしょするので、この道をゆく。と、いっても、線路とは少し距離をおいているが。この距離がわざわいして、駅の発見が遅れた。

 田んぼのど真ん中に駅があった。羽前金沢(うぜんかねざわ)。農道から脇道に入った先。踏切脇にぽつねんと。

 あたりは一面、水田で、視界はいいはずが、かえってわかりにくかった。標識でもなんでもあれば、まだよかったのだが。

 それにしても、なんでこのような所に駅をつくったのだろう。集落からは離れているし、周りに史跡らしいものは何もないような、、、。

 実はもっと奥の深い事情があるのかもしれない。

 (01年)

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2007年7月27日 (金)

羽前山辺

Img002_5  須川を渡って、山辺町。織物や果物のさかんな町だ。

 さくらんぼにリンゴ、出荷が待ち遠しい。西へ、山に入れば玉虫沼。あたりはキャンプ地。山辺自然休養村として、憩いの場となっているようだ。

 そしてさらに南に分け入ったあたりが、東北版関ヶ原の合戦(1600年)の激戦地。上杉の知将、直江兼続は、この狐越街道から、山形をついた。山道をぬけて、側面に出る。奇襲である。

 最上義光の主力を上山方面でひきつけておいて、手薄になった横手から、一気になだれこむ、、、。正に直江ならではのシナリオ。これには最上もどうすることもできず、畑谷城を落され、ついに山形城下へ軍靴の音が、、、。

 関ヶ原の合戦、中央版で東軍が勝ったため、山形落城は免れたものの、最上にとっては冷や冷やだったに違いない。

 左沢線も独自色が出てきた。いよいよヤマ場を迎える。古の合戦のように。

 (01年)

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東金井

Img001_4  山形駅を出、奥羽本線と一緒に進む。山形城のお堀のすぐそばを通っていく。北山形駅構内で、いよいよ分かれ、西へと向かう。

 東金井は、左沢線でひとつめの駅だ。奥羽本線から分かれた後の、住宅地を進み、田園地帯が見えてきたところにある。

 駅入口が団地と重なるため、けっこう迷った。せまい路地。同じところを何度も行き来したり。片面ホームの向こう側に田園が広がるのが対照的だ。

 ここも山形市。須川を渡るまで、そうだ。東北版関ヶ原の戦い(1600年)では、攻め寄せる直江勢に対して、最上義光は討って出ようとしたが、隣国の伊達政宗から「須川を渡らぬように」と忠告されて思いとどまったという。やはりこの川をたのみに、防衛に尽くした方がよかったのだろう。

 今も、須川が山形市との境界線になっている。りんごや桃畑のある、山形市西部。

 古の武者たちの、駆け引きの場所でもある。

 (01年)

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