2007年3月29日 (木)

鼠ヶ関

Img052_2  念珠関(ねずがせき)。白河、勿来とならぶ、奥羽三大古関の一つ。

 上方から日本海沿いの東北への玄関。ここを通って、はじめてエキゾチック・みちのくに足を踏み入れる。「いらっしゃいませ、東北へ」。今は山形、新潟の県境。

 兄・頼朝に追われる義経一行も、ここを通って平泉へ落ちた。捜査の目が厳しい中、関所の役人は好意的で、宿まで手配してくれたという。

 感激した義経、再び、北へ北へ。歌舞伎の舞台にもなった場面。彼の目には、みちのくはどのように映ったのだろうか。

 俳人・松尾芭蕉も義経の哀れを想い、ここを通っている。海の波は、そうした記憶をすべて洗い流す。砂浜に残したはずの足跡はいずこへ。

 ここは県境の域にとどまらない、今と昔を区切る関所なのだ。

 (00年)

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2007年3月28日 (水)

小岩川

Img051_2  海岸にはりつくように、国道は走っている。

 「飛沫に注意」の看板。注意のしようがない。悪天候の日なれば、恐怖だろう。海に飲み込んでやろう、と、魔物が手をのばす。岸壁を乗り越え、全ては白渦の中に、、、。

 でも、今日は快晴。飛沫も心地よい。夏なら、もっとよかった。水平線に落ちる夕陽を見ながら、感傷にひたりたい。夕暮れの漁村はどんな光景なのだろう。

 山と海に圧迫され、身動きのとれない場所であるが、所々に棚田が見られる。潮をかぶりそうなくらい、海に密着している。

 細々とではあるが、こうした努力が、おいしい米どころの秘訣なのかも。

 塩で清めた米に、「いただきます」。

 (00年)

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2007年3月26日 (月)

あつみ温泉

Img050_2  山と海に囲まれた自然の宝庫、温海(あつみ)町。

 そしてなんといっても、この町を、いや庄内を代表する温海温泉。なんと千年もの昔、かの弘法大師が発見したとか言われる、畏れ多い湯だ。

 流れ出した湯が、海を温めたことから、「温海」という地名になったことからわかるとおり、この温泉につかれば、万病に効くし、気分もリフレッシュ間違いなし。松尾芭蕉、与謝野晶子、横光利一、斎藤茂吉、の各名士が訪れたことがある。

 温泉は少し山に入った、温海川沿いに開かれている。朝市とセットで、一度宿泊してみたい場所である。

 山が海岸まで目一杯迫っているため、猫の額ほどの土地に、集落が散る。そのほとんどが漁村。この青く広大な海を真正面に、今日も力強く生きる人たち、、。海に夕陽が沈み、どんな光景が見えるのだろう。

 海水浴、磯釣りを終えた人たちの影が、岩と重なる。話し声が途絶え、静けさをうめる波の音。

 (00年)

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五十川

Img049_2  磯浜は続く。風光明媚だが、あまりにも海に近すぎはしないだろうか。

 山がせり出してきて、どうしようもないほど、追い詰められる。浜辺のわずかな土地を、国道、鉄道は走っている。

 五十川(いらがわ)駅は、正に波から逃れる地下シェルターのようだ。ホームまで地下道が延びる。海荒れれば、ここまで波が届きそうだ。しばらくは隠れて様子を見よう。

 五十川といえば、山に入った山五十川の玉杉(超巨大!)がうりだが、やはりどうしても海に目がいくだろう。

 波おだやかな日なれば、なんといい景色。海、海、海。立岩をはじめとした、海岸線をうめる岩石のオブジェ。そして潮のにおい。

 夏、バーベキューでも楽しみたい空間がそこにはある。

 (00年)

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2007年3月21日 (水)

小波渡

Img048_2  駅は海を見下ろす高台にある。

 国道脇にあると思っていたら、実際は集落の中にあって、見落としてしまった。急な坂道をかけあがると、あった、あった、かわいらしい駅舎。

 小波渡(こばと)。いい響き。岸にうちよせる小さな波が、はるか向こうの世界から渡ってくる使者のように見えたのだろうか。

 しかし、その小さな波も、また大きな波になったりする。海の顔色は変わりやすい。せいぜい機嫌を損なわないように、と、おっかなびっくり、海辺すれすれを国道、鉄道は走る。

 今日の波はおだやかでよかった。

 波の音を聞きながら、小さな待合室で一時を、、。

 (00年)

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三瀬

Img047_2  ごつごつとした岩石が海に突き立つ。打ち寄せる波の浸食により、山の側面が削られ、絶壁となる。荒々しい日本海との対面。

 風除けのせまい谷間の中に、集落がひしめく。まるで待避所で肩を寄せ合い、暖をとっているかのよう。

 三瀬(さんぜ)駅は、さらにその奥、臆したかのようにひっそりと。でも、駅前の桜は素晴らしい。ぱっと開いた。桜だけが自己主張しているかのようだ。

 背後は山。もう前方の海に向かって、突き進むしかない。離れていた国道も、ここからは鉄道と共に行く。

 波に気をとられながら、、、。

 (00年)

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2007年3月14日 (水)

羽前水沢

Img046_2  庄内平野もここらで、一区切り。線路は海に誘われるように、西へと向かう。

 前方の山越えをすれば、目前に水平線!勿論、逆の海側から来れば、目前に平野が広がっているのだが、、、。

 この対照的な演出!これぞ庄内の魅力。私はこれから海へと向かうのだが、その前に「平野」で言い忘れたことを書いておこう。

 湯田川温泉、金峰山、金峰神社、熊野神社の大杉、水上八幡神社、湯野浜温泉、、、。

 特に湯野浜温泉は、昔、父と泊まった。実になつかしく、いい思い出につかれる湯。

 朝日が海上に完全に昇りきる前に、出立した。慌しかったが、それが、またよかった。

 海が、あらわれる。

 (00年)

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羽前大山

Img045_2  この地は長く、武藤(大宝寺)氏が拠った。

 庄内に勢いをふるった一族は、山形・最上氏の攻撃にさらされ、滅亡。最上氏の庄内支配が始まるものの、豊臣政権下では、会津・上杉領に。関ヶ原の合戦(1600年)の後、再び最上領。

 その最上氏も江戸初期に改易(1622年)。大山は、譜代・酒井氏の庄内藩領、天領、と続く。めまぐるしい。武藤氏から始まる大山の変遷が庄内の歴史でもある。

 なるほど古刹がある。善宝寺は千年前に開かれた、竜神信仰の大寺院で、漁師の信仰が篤い。大山犬祭りの椙尾神社は、武藤氏の守護神。酒造りの大山は、神域の大山。

 日本海にのぞむ、湯野浜温泉は、昔、父と泊まった。いい旅の思い出になった。湯加減よりも、その旅全体が、今でも思い出す。

 (00年)

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2007年3月12日 (月)

鶴岡

Img044_2  山形県鶴岡市、人口10万人。庄内藩14万石の城下町。

 庄内平野のど真ん中。主要都市。駅前の米俵をかつぐ農夫の銅像が印象的だ。庄内平野は米どころ。

 酒田が商人の町なら、鶴岡は武士の町。1622年、(米沢を除く)山形県全土を領した最上家改易後、譜代・酒井氏が入り、藩になる。幕政後期の三方領知替令には住民が反対運動を起こし、ついに殿様を出すことはなかった。藩主がすっかり郷土に根付いた証拠といえる。

 戊辰戦役(1868年)では列藩同盟の一員として、幕府に忠節を尽くした。

 その城跡は現在、鶴岡公園。桜が見事だった。近くに藩校・致道館がある。

 作家・藤沢周平の出身地。彼の時代小説の舞台はここである。「海坂藩」とは、庄内・鶴岡のことのようだ。歴史を感じさせるものが町の至るところにある。

 父と来て、一夜の宿を探す。せっかくだから、湯野浜温泉にしよう、と、駅前観光課の紹介で行ったところは、、、。渋面の父の顔が夕陽に照らされている。海は波は静かなのだが、心の波は荒れ模様。しかし、貴重な思い出となった。父との「やじきた道中」の一ページであった。

 西に日本海、東に山伏・修験道の出羽三山。庄内の中央にある町。

 (96年)

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2007年3月 9日 (金)

藤島

Img043_2  そもそも「庄内」とは「荘内」で、荘園の内側を意味した。

 中世の頃、ここに大きな荘園が三つあったとされる。出羽国に編入された際、郡府がおかれた。それがここ、藤島。庄内では古い歴史をもつ。

 陽光さす山形県藤島町。昔ながらの古めかしい構えの家が目立つ。庄内最古の町。

 豪族が拠った藤島城跡は、堀もしっかりと残り、桜が満開。大勢の観光客がいた。

 東に見えるは、羽黒山。山伏、修験道の山である。承平年間、あの平将門の創建とされる羽黒山五重塔。また、最大規模の茅葺屋根、出羽三山神社。霊験あらたかな山がそびえているのだ。

 まさに神の宿る山々。それが山脈となって、庄内と最上、村山地方とを分かっている。

 参詣するには、あまりにも時間がない。日を改め、精神が落ち着いた時に、是非訪れたいもの。それまでは、ふもとから手を合わせる。

 (00年)

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西袋

Img042_1  ただっ広い庄内平野。砂ぼこりをまきあげて、クルマで進んだ。

 昼の日ざしが照りつけ、農家の屋根々々を反射している。カタカタとトラクターに耕運機。独特の肥料のにおい、、、。

 西袋駅は、小さな無人駅だった。こ線橋もあり、駅前も広いのだが。広い農村地帯、どこに駅があるのか、見つけるのが大変だった。

 ここより西へ向かうと、赤川という大きな川が流れている。この川沿いに鶴岡の町が開けた。

 しかし、庄内支庁および陸運支局庄内は三川町にある。これはもう一方の雄・酒田との関係から、ちょうど中間においたのだろうか。

 いずれ「庄内」は山形県にあっても、独立した地域。空港もあるし、クルマのナンバープレートも「庄内」。そして、美味しい庄内米あり。

 (00年)

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2007年3月 5日 (月)

余目

Img041_1  陸羽西線が分岐する、鉄道の要衝・余目(あまるめ)。

 庄内と最上地方をつなぐ接点であり、酒田・鶴岡の二大都市をつなぐ接点でもある。人口も2万をこえ、酒田・鶴岡に次ぐ、第三の庄内の町。その存在意義は大きい。

 庄内平野でとれた絶賛、庄内ササニシキの産地。ほとんどが平地で、農耕にはうってつけ。なんと山がひとつもないのだから。氏神の千河原(ちがわ)八幡神社のご加護か。大地の恵に敬意を表す。

 目を東、最上川を渡った、松山町に転じる。ここは庄内支藩、松山藩2万石の城下町。外堀を残した城跡をはじめ、散策を楽しめる。特に総光寺は開山600年余りの古い歴史をもつ。豪壮な山門と、120本も並ぶ、きのこ杉(樹齢350年)、庭園。国の名勝に指定されている。

 また、「三太郎の日記」の作者で有名な、評論家・阿部次郎の出身地でもある。

 こうしてみると、余目地方は「つなぎ」ではなく、「本命」のような気がする。

 (00年)

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2007年3月 4日 (日)

北余目

Img040_2  酒田から東に進んだ線路は、砂越から再び進路を南にとる。

 大河・最上川を渡って、北余目駅。庄内こばえちゃんライン(通称)から脇道に入ったところ。

 広い庄内平野の只中。このあたりは、おいしい庄内ササニシキがとれる。

 それにしてもこの駅の利用客はどの程度なのだろう。田の中にとってつけたような感じだ。単線区間の多い羽越線にあって、ここが複線であるのは、酒田、鶴岡、二大都市を結ぶのと、酒田始発の陸羽西線も含まれるためだと推測する。

 天気は上々。穀倉地帯を羽越線は走る。

 (00年)

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2007年3月 2日 (金)

砂越

Img039_2  中世の豪族、砂越(さごし)氏が拠った砂越城は駅の近く。

 大宝寺(鶴岡市)の武藤氏にのみこまれるまで、庄内北部を支配した。今はおいしい庄内米の農業の町、平田町。

 庄内平野の東部に位置し、北に鳥海山、南に月山、そして急流・最上川。こうした中で、お天とう様の下、庄内米は立派に育つ。農業を広く紹介しようと、体験ツアーも実施中というから、かなり積極的だ。

 新山神社の「新山延年の舞」は、無形文化財に指定。鎌倉期から伝わる芸技で、例祭日には大勢の観衆が訪れるとか。これも鳥海山山岳信仰の影響かもしれない。

 同じく鳥海山信仰の小物忌神社に裸祭りの飛鳥神社と、古めかしい旧跡のちらばる平田町であった。

 (00年)

 

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東酒田

Img038_2  酒田駅を出ると、線路は進行方向を東に変え、内陸へと進んでいく。

 海、港、そして彼方の飛島を背に、離れていく。向かうは庄内米の庄内平野。

 一瞬見落としそうな場所に、東酒田駅。満開の桜の木が二本、門をなしている。風が出てきて、花がちらほらと散った。ここちよい。駅は無人でも、この桜があるかぎり、駅員は必要ないだろう。

 もっともこの桜の木に隠れて、駅が見えなかったりしたが、、、。

 国道7号線ともひとまずわかれるが、かわりに高速道路の高架橋があらわれて、農道に影をつくっていた。

 (00年)

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2007年2月27日 (火)

酒田

Img037_2  山形県酒田市、人口10万。鶴岡と並ぶ、庄内地方の主要都市。

 酒田は港町。江戸時代、西廻り航路の最寄り港として、北前船が停泊した。

 現地でとれた豊富な庄内米、それに最上川を伝ってきた、最上地方の藍や紅花。それらを集積し、船に載せ、経済都市・大阪へと運んだ。まさに江戸期の経済の源だったのだ。

 その経済を支えていたのが、地主・本間家。「本間様には及びがないが、せめてなりたや大名様に」といわしめた裕福さだ。旧本間邸に行ってみたが、本当に大名の家かと見まがってしまった。

 藩主よりも贅沢だったことは、本間美術館における展示物の豊かさに推して測るべしだ。いつの世も「商」の力は強い。

 しかし、この町は幾度となく大火に見舞われた。近年も酒田大火があった。風が強い。庄内米の米倉、三居倉庫に立つと、海からくる風を敏感に感じる。

 最上川河口。飛島行きのフェリーが見える。海上には離れ小島があるのだ。

 往時、この港では、せわしなく積み上げ作業が行われていたのだろう。彼らは、物ではなく、夢を船にのせていた。

 そう、解釈したい。

 (96年)

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2007年2月26日 (月)

本楯

Img036_2  庄内平野は広がりがある。穀倉地帯と呼べる。

 お天とう様が照りつけて、よい作物が実るよう、願うばかりだ。本楯(もとたて)駅は、駅員のおじさんが一人いるだけの、のどかな駅。

 このあたりに城輪柵跡。奈良時代につくられたであろう、砦のひとつだ。その頃、朝廷は北方の蝦夷討伐に力を入れていた。ここも前線基地となっていたのだ。当時はどんな風景がひろがっていたのだろうかと想像をめぐらす。

 と、そこへ列車。接続がいい。「盾」の文字が気になる。今は何を守っているのだろうか。

 米の庄内平野だが、海岸部にはスイカもうわっていた。

 (99年)

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2007年2月21日 (水)

南鳥海

Img035_2  「鳥海」町は、秋田県にあるが、駅名で「鳥海」の名があるのは、こちら庄内の「南鳥海」駅。

 鳥海山は山形のものだ、という意気ごみが伝わってくる。確かに、山頂は山形県内。

 八幡町の八幡神社も鳥海山信仰と関わりがあるのだろうか。

 鳥海山は家族と登ったことがあるが、そんなに畏れおおい山だったのか、と、改めて思い知らされる。晴れ間から、時々顔がのぞく。

 列車の待ち時間が長かった。縁結びと手足病にご利益のある、足山神社がある。行こうかと思ったが、列車が来てしまった。

 (99年)

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遊佐

Img034_2  遊佐(ゆざ)町は庄内平野の北のおさえだ。

 鳥海山には雲がかかっている。元々このあたりは、鳥海山信仰が根深い。杉沢比山(ひやま)は、毎年8月に熊野神社で行われる番楽(ばんがく)。

 舞い手は地元生まれの者に限られ、比山を舞うことを誇りとする。能楽に通じる象徴的な舞が多く、きわめて格調の高い番楽だそうだ。国の重要無形民俗文化財。

 ぜひ見たいが、あいにく時期がずれている。

 ここにも大物忌神社があり。なんだか宗教的な神域に思えてくる。

 山にはやはり、神々が存在するのであろうか。

 象潟町とは県境をはさんだ隣どうしで、三崎公園での綱引きで、ライバル関係にある。

 (99年)

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2007年2月18日 (日)

吹浦

Img033_2  海岸の十六羅漢と松並木が美しい。鳥海山の頂上へ向けて、有料の鳥海ブルーラインがのびている。その入口。

 月光川の河口は入り江となっており、たくさんの漁船が泊まっている。鳥海山、南の登山口。

 「あさまだき 潮風さむく 吹浦に 波かけ衣 きぬ人ぞなき」(菅江真澄)

 菅江真澄は、この地の永泉寺を訪ねた。何か、足をとめるものがあったに違いない。

 大物忌神社は、噴火活動の激しい鳥海山の怒りを鎮めようとのものである。吹浦駅は、そんな中にある。

 駅前に銅像。佐藤政養。明治時代の人で、日本に初めて鉄道を敷いた技術者、と紹介されてある。鉄道と縁の深い吹浦。

 ここより若干内陸寄りを進んで行く。

 (99年)

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女鹿

Img032_3  岩礁絶壁の海岸線。山形県に入った。

 女鹿(めが)は無人駅。日に数本しか列車は停まらない。元々は信号所だったようだ。

 小さな待合室にノートが一冊。駅の思い出、メモ書き帳だ。「去年は発見できなかったけど、今年は来られました」「ちっちゃな無人駅、感動あらた」「また来たい」等々。

 皆それぞれに駅に想いをよせている。深い感銘を受けた。やはり、世の中広い。私と同じ趣向を持つ人が、こんなに。早起きして、来てよかった。霧の中、足どりは軽い。

 途中の海辺に湯ノ田温泉がある。父と昔、訪れた記憶があるが、、、。バイパス工事が進んでいて、この駅も一層奥まったものになるのだろうか。

 (99年)

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2006年5月22日 (月)

小砂川

Img076  絶壁が日本海へむかって、おちこんでいる。秋田県最南端。

 戊辰戦争(1868年)では、秋田藩と庄内藩との衝突があった。その流れか、ここより先の三崎公園で毎年、象潟町とお隣、山形県・遊佐町とで綱引きが行われる。

 勝った方の町が、ちょこっと領土拡張だとか。(県の面積がかわる?)県境の海沿いの町は、いつもライバル同士。

 有耶無耶の関。その昔、旅人が国越えをする際、カラスと「有耶」「無耶」と合言葉をかわして通ったという。一見ばからしいこの会話をしないと、海中から怪物が現れて、旅人は食われてしまうとか。

 しかし、今やその伝説を信じる者はいなく、なんとなくうやむやにされたまま、クルマは県境をかけぬけて行く。

 (98年)

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上浜

Img075  秋田県沿岸、日本海の上流だからか、名は上浜。秋田市の下浜と対になっている。

 海が近い。坂を下れば砂浜がひろがる。駅前が下り階段になっており、国道7号線が見える。

 犬が一匹、こちらの様子を伺っている。彼(または彼女)が駅員か。見慣れぬやつが来た、と警戒しているのだろう。まずはトイレへ。私も臭いつけが先決だ。

 南側に草むら一本道がのびている。そちらへ向かう。途中、どこかで見た、鉄道写真集の一スナップに出くわした。ここで撮ったのか、、。のどが渇く。途中の自販機はなぜかいずれも本日休業、とのこと。

 (98年)

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2006年5月19日 (金)

象潟

Img074  時は元禄、俳人・松尾芭蕉(1644~1694)は「奥のほそ道」の道中でこの地を旅した。今からざっと300年昔のことだ。

 当時はまだ現在のように土地が隆起しておらず、宮城の松島のように、小群島が入り江に浮かぶ、それは見事な景勝地だったという。

 今、その名残として各地に丘がある。これぞ象潟九十九島。田んぼを海に置き換え、想像すれば、すばらしい景色がそこにある。趣がだいぶ薄れてしまったのは致し方ないが。

 「象潟や 雨に西施が ねぶの花」(松尾芭蕉)。近くに蚶満寺という古刹があるが、そこにうわってあるねぶの花をよんだのだろう。

 雄大な鳥海山が近くに、ある。鳥海山登山口でもある、この町には、奈曽の白滝という、細い糸をたらしたような、美しい滝がある。小学校3年の遠足で行った。その後は、登山で家族と行った。山頂の火口をおそるおそる覗き込んだのを覚えている。

 それと海岸の象潟温泉。ねむの木がたっている。父と窓外の日本海を見ながらくつろいだ。陽が西に傾き、絶景である。昔も今も観光地だ。

 松尾芭蕉が立ち止まった地。私も一句ひねりたいが、言葉が出てこない。

 (96年)

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金浦

Img073_2  極地探検家・白瀬矗(1861~1946)の故郷。陸軍中尉である彼は、アムンゼン、スコットと時を同じくして南極探検に挑んだ。(1912年)

 食糧不足のため、残念ながら南極点到達はならなかったが、日本人初の南極探検家として日本史に名をとどめる。上陸地を「大和雪原」と名づけた。

 財政事情の逼迫していた明治政府は、この一大冒険には資金援助をしなかった。当時同盟関係にあった、英国への遠慮もあったとされる。大隈重信や私的な財界からの義援金で、なんとか船出とした。同町の白瀬記念館には、その船が復元されていた。すごいぼろ船で、外国人も極地探検いぜんに、よくこれで大洋を渡れたものだ、とびっくりしたという。明治人の気骨、だろうか。

 白瀬中尉自身はその栄光とは裏腹に、晩年は不遇だったという。記念碑のたつ湾は漁港となっている。このささやかな漁港から、少年、白瀬は遠い海の向こうを夢見たのだろうか。

 勢至公園の桜はよかった。立ち寄ってみた。金浦温泉は一度、父と行ったことがある。湯治客が多かったことが記憶される。

 (96年)

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2006年5月17日 (水)

仁賀保

Img072  仁賀保町といえば、TDK。TDKといえば、斎藤憲三(1898~1970)。同町に生まれた彼は、一代で有力電気会社、東京電気化学工業(TDK)を創設。

 戦前、戦後を通じて社の勢威は拡大し、今も駅近くには関連の工場がたっている。仁賀保の目玉というところか。

 ここまでくるのに、だいぶ苦労したようだ。伝記によれば、秋田市の銀行は一介の青年がそんな大事業をおこせるはずもない、とふみ、金を貸さなかったともいわれる。銀行のみならず、どの業界も信用しなかった。それらの冷ややかな視線をはらいのけて成功したのだから、まちがいなく偉人なのだろう。

 憲三の父、宇一郎(1866~1926)もやはり名村長として、その名を知られている。主に農業で、品種改良や馬耕をすすめた。父子は共に、衆院議員もつとめた。

 かつて由利十二頭が割拠した土地。今やそのTDKが割拠している。工業と農業の並立した町、である。

 (97年)

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西目

Img071  西目町は、本荘市の西どなり。ここではアイスクリームと米をミックスさせた、「ライスクリーム」(?)が食べられるという。何年か前の凶作の時、不人気の外米をアレンジしたものだとか。

 輸入品の改造という独創性の豊かさは、日本人のえらいところだ。

 町を歩く。役場脇がちょっとした公園になっていて、像がたつ。佐々木孝一郎、、。西目村(当時)の村長で、村政改革に辣腕をふるったとか。古き良き政治家、か。

 海際の松林を歩いていたら、地元の子供に「こんにちは」と挨拶された。これは今も良き人情なのだろうか。

 ラグビーで有名な西目高校は、このすぐ近く。最近は「道の駅にしめ」ができて、ずいぶんとドライブが楽になった。

 (97年)

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2006年2月17日 (金)

羽後本荘

Img028  秋田県本荘市、人口4万。由利地方を代表する町で、「山と川と海のある町」だ。

 日本海と子吉川に面した本荘は、ごてんまりの産地として知られる。駅前の土産品店の店頭にも、色鮮やかな手製のまりが並べられていた。

 ふと、亡くなった母方の曾祖母のことをおもいだした。新潟からの帰り土産によく持たせてくれた。もちろん、手作りだ。

 戦国大名、最上氏の猛将、楯岡満茂が主家改易後、城を出てから、仙北の六郷氏が領主となる。六郷氏、本荘藩2万石のはじまりである。以後、維新まで外様の小藩ながら由利のこの地に根付いた。

 戊辰戦争(1868年)では、秋田藩と共に官軍側につき、庄内藩の攻撃にさらされた。なお、その城は今、本荘公園となっている。桜の見所。

 佐竹圏外の由利気質は、秋田の中でも独特といわれるが、はたしてどうなのだろう。

 (95年)

 

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羽後岩谷

Img027  折渡峠を越えると、ぱっと水田が広がり、大内町に出る。中心地に羽後岩谷駅。

 この町は広い。大部分が森林で、国道105号線が東西をつっきり、本荘、大曲をつないでいる。国道7号線はバイパスとなり、山むこうの日本海側を走っている。

 かすみ温泉や滝温泉、秘湯をもつ町。山里にかくれている。

 かすみ温泉の湯は二度、つかった。温泉好きの父と私は今度こそ、その桜吹雪と湯煙を楽しめると期待したのだが、、。時期逸す。温泉だけでも楽しめたからよしとしよう。

 山奥の秘湯。物いわぬ桜の木の前で、記念撮影をする。「おれ老けたな。」父がぽつり。それはあの桜の木の発言ともとれる。

 (95年)

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2006年2月10日 (金)

折渡

Img025  元々は信号所で、近年駅に昇格した。しかし、どれだけ利用客がいるのだろう。今日、ホームに立つのは、私一人。

 難所、折渡峠には、ずらりと地蔵がたっている。こわいくらいだ。まったく寂しい峠道である。

 道路はくねくねとした山道になるが、線路はトンネルだ。実に13年の歳月を要して完成したといわれる。岩盤が弱く、度々崩落事故を起こし、作業員の方が何人か亡くなっている。

 今でも、出るらしい。あれが。幽霊が、、。なんだか怪談めいてきたが、ともかく、このトンネルのおかげで交通の便がよくなったのは確かだ。

 それにしても、この雰囲気、、。こわい。幸い列車はやって来た。停まってくれた。もし来なかったら、次の駅まで、峠越え、、。ぞっとしてきた。

 (94年)

 

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羽後亀田

Img024  亀田藩2万石。佐竹氏親戚、岩城氏が城主をつとめ、実質支藩である。関ヶ原の合戦から後、最上氏改易に伴い、岩城氏が入部する。

 藩祖、岩城宣隆の妻は、勇将・真田幸村(1567~1615)の娘だ。岩城家には、代々真田の血が伝わった。

 現在、この藩は「天鷺村」として開かれている。駅から少し離れた一集落になりさがってしまったが、亀田の伝統は決して衰えることはない。天鷺ワインが有名。

 ちなみに、松本清張の小説・「砂の器」では「カメダ」なる地名が捜査線上に浮かび上がり、京都の亀田だと思いきや、正体はここ、「羽後亀田」だと判明する。

 そして、主人公がこの駅の待合室で見た者とは、、、。

 (94年)

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2006年2月 7日 (火)

岩城みなと

Img023  平成13年12月1日。祝、新駅誕生。岩城町、「岩城みなと」駅。

 道川駅よりわずかしか離れていないが、町役場(近年、道川よりこちらに移動)に近いし、道の駅「岩城」もある。

 五能線、あきた白神駅以来、県内106番目の新駅。おめでたい。静かな待合室で一杯のジュースを飲んだ。

 昼食は海側にある、道の駅「岩城」でとった。レストランの窓外は冬の日本海。沖に何か建設中。店員に聞くと、あれが「岩城アイランドパーク」。島式漁港公園らしい。

 砂浜で、漁港には適しない地で、なぜ岩城「みなと」か、ようやくわかった。ここいら一帯を人工の港にしようというわけだ。壮大な計画。実現が待ち遠しい。

 (01年)

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道川

Img022  羽越線と国道7号線との併走は続く。ここ道川駅は下浜駅と同様、駅前が国道で、その先が海という構図だ。もちろん防砂林は、ある。

 だから下浜で人が多く、他に場所を移そうものなら、ちょっと足をのばせば、道川で海水浴を楽しめるのだ。

 ただ、下浜と違う点は、ここは岩城町の中心部であること。「岩城」。福島県・浜通りの戦国大名、岩城氏が佐竹傘下となり、その秋田国替えに伴って、この地に来て、同名になった。

 城は亀田にある。ここは町役場があるとはいえ、そんな歴史的雰囲気はどこにもない。浜辺の静かな集落だ。

 近くに温泉とプールを備えた、秋田厚生年金センターができた。また山に入れば、岩城少年自然の家。町内会に、研修会のキャンプ、何度行ったことだろう。

 この道川の浜は、日本で初めて、ロケットうちあげが成功した場所だという。今、そんなことをしたら、大変なことかもしれない。

 (94年)

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下浜

Img021  下浜海水浴場は、秋田市民にとって、最大の夏の行楽地だ。海の家が夏を今か今かと待ちのぞむ。

 駅前は国道7号線で、その先の防砂林を抜ければ、すぐに一面の海がひろがっている。100mくらいで砂浜に出るのだから、好都合だ。

 この駅は浮輪とサンダル姿が、よく似合う。

 毎年夏には家族と海水浴を楽しみに来た。近年は行っていないが、海はいいものだ。

 しかし、砂浜のごみはひどい。ボランティアで参加したごみ拾いでは、漂着物やら空き缶やらの、投棄された種々のがらくたに唖然とした。

 シーズンオフの裏の姿を見た思いだ。

 (94年)

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桂根

Img020  栗田定之丞が植えた、防砂林が見えてくる。海もすぐ近くにある。

 鉄道と国道とがいっしょになった。ここから林に囲まれるようにして海岸沿いを走るのだ。その第一歩にこの駅、桂根。

 最近、できた。元々は信号所で、駅に昇格した。だが、ほとんど利用客はいないらしく、時刻表を見ても、日に数本しか停まらない。

 桂浜海水浴場の下車駅とは、単純にいえないのではないだろうか。

 国道と反対側の出入り口は、民家の私有地である。

 (94年)

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2006年2月 6日 (月)

新屋

Img019  一級河川・雄物川の対岸。秋田市西部、新屋地区。

 雄物川は穀倉地帯の秋田平野から県南部をかける、秋田を代表する川のひとつ。ただ、度々水害をおこしていたため、人工的に流れを変えた。海に注ぐ河口がそれだ。

 今、ここには4つの橋がかかっている。秋田市街地とのかけ橋である。

 大森山という小さな山がある。テレビ塔が目印で、キャンプに動物園あり。

 国道7号沿いに日吉神社。この近くが江戸時代、海岸の植林事業で活躍した、栗田定之丞の出身地。彼のおかげで秋田は潮風の害から守られた。

 その防砂林は今、松くい虫の被害に直面している。彼がいたなら、おおいに悲しむにちがいない。

 (94年)

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羽後牛島

Img018  奥羽線と併走してまもなく、離れていく。

 単線レールが金照寺山のすそをぬけると、国道を上にのせた陸橋があらわれ、くぐって、駅。一駅むこうでも、わりと近い。

 住宅密集地だが、雄物川にむかって工場がたちならんでいる。広い国道(13号線)を自動車がひっきりなしに走っており、その排気ガスたるや、すさまじい。

 茨島交差点では、国道7号線と国道13号線がわかれる。海岸の羽越線にお付き合いするのは、国道7号線だが、この茨島は13号の始点という意味で、重要。

 羽後牛島駅構内は、貨物列車待機用か、かなり広くとられている。

 (94年)

 

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