2006年12月20日 (水)

新青森

Img100  将来、新幹線乗り入れが計画されている駅。前途有望、未来の青森の玄関となる駅。

 今はどこにでもありそうな、無人駅だが、あと何年かしたら、巨大な駅ビルに変身しているのだろう。新幹線来たらば、ここが青森の中心となって、周辺にビルができて、、、。夢ひろがる。悲願。

 今は何もないから、余計あこがれるのだろう。もう少しで、実現となるか。

 1996年発掘、三内丸山遺跡へ近い。できた当初、父と訪れた。あの日も夏だった。本当にここに人々は暮らしていたのだろうか、と思った。本州の北、寒い地方だというのに。当時は過ごしやすかったのかもしれない。

 新幹線がまだ来ていないのだから、駅名は「三内丸山」でいいような気もする。

 北海道へ渡る、フェリーの発着所に近い。国道7号線が終了する。津軽線あらわれ、合流すれば、青森駅である。港にすごく、近い。

 (00年)

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津軽新城

Img099  青森市の西地区。ここも「津軽」。弘前周辺だけではなく、県都・青森市も津軽の一部だったのだ。南から来た人は、青森市に入って、地域がかわったように感じるが、そうではない。

 東北自動車道の北の終点(始点)。長旅、お疲れ様。

 国道7号線は市街地へ行くのと、大きく南へまわりこむ(青森環状バイパス)のと、二つにわかれる。もっとも国道7号線自体、そろそろ終点。どちらで最後を締めくくるか、ドライバー次第である。

 「坂のある街 新城」と駅の看板にあるように、北側住宅地へむかって、きつい坂。のぼった。途中、曹洞宗・見道寺という寺があった。なかなかの古刹なようだ。線香か、何かの煙がたちのぼっていた。

 そして、国道に合流。さあ、帰ろう。南へ。青森の市街地が後へ遠ざかっていく。

 大きく湾と港を囲んだ、北の町。夏、青森ねぶたでにぎわう町。

 (00年)

 

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2006年12月17日 (日)

鶴ヶ坂

Img098_1  青森市の西をかためる山。この山を越えれば、青森市街に入る。青森の玄関だ。

 鶴ヶ坂は、文字どおり、けっこうな上り坂、下り坂。国道はバイパスになるも、峠道には変わらず。

 鶴ヶ坂駅前の道路は、かつての国道7号線。バイパスができた今となっては、ほとんどクルマは通らない。駅がさびしくうつる。

 昔からの羽州街道だったのに、時代の流れは道をも変えた。でも、今も坂は残る。

 この坂を越えれば、青森市街が見える。フェリーのうかぶ、港町。逆扇形に、港を囲む、市街地。あるいは、この坂を越えれば、津軽平野。りんごと岩木山。津軽の大地。

 どのような想いが、旅人の胸を占めているのか。じっと見つめる駅。

 (00年)

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大釈迦

Img097_1  お釈迦様?大釈迦(だいしゃか)。なんだか意味ありげな地名だ。この地に釈迦がご降臨されたのだろうか。

 まだお盆には早いが、むうっと線香のにおいをかぎとる。ただの錯覚かもしれない。そう錯覚、、。

 駅の北4キロに梵珠山。この名前もあやしい。県民の森に指定された標高500mにも満たない山であるが、ここはあるものが出ることで有名。それは、ヒトダマ、、、。

 夏の暑い夜にふわりと火の玉があらわれる。目撃談も多い。原因はわからないが、すうっと汗がひくことは確か。興味のある方はぜひどうぞ。でも、さすがは地元、観光名物としてツアーを設けたりしている。

 大人数で行けば、こわくないかも。もしかしたら、この火の玉、釈迦のご降臨かも?

 (00年)

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2006年12月12日 (火)

浪岡

Img096_1  一際大きい駅名板が掲げられている。「浪岡駅」。浪岡町の駅。

 特急は停車しないが、急行は停まる。歴史的に見れば、津軽の準代表の町の駅。停まってなんぼ、そんな声が聞こえてきそうな、大きな看板である。

 室町時代、北畠氏が支配した。しかし、東から南部勢力が入るにつれ、衰退。以後、浪岡城は南部氏の津軽支配の拠点となる。

 だが、これで終わりではなかった。じっと機会を窺っていた大浦氏(後の津軽氏)が突如として南部氏に反乱。浪岡城を落とし、津軽支配の実権をとってかわった。怒った南部氏は以来、度々大浦氏と抗争を繰り広げるも、時すでに遅し、豊臣政権により、大浦氏の津軽支配は確約されるのであった。

 浪岡がいかに津軽の歴史と密接に関わってきたか、わかるであろう。地理的にも、青森と弘前のほぼ中間。とてもよい立地条件だ。

 相撲のさかんな町でもあり、横綱・隆の里を生んだ。青森、ことに津軽は力士が多い。土俵せましと暴れまくる浪岡の気魂は、そのまま津軽の魂につながる。

 (00年)

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北常盤

Img095_1  津軽平野の中央。常盤村。西に岩木山、東に八甲田山。景観。空気がおいしい。りんごも米も、おいしい。

 何不都合のない静かな村に見えるが、ここには「溝城の狐」という、ちょっとこわい伝説がある。

 水木に住む狐たちが陰謀を企み、商家の祝言の日取りを偽ろうとした。しかし、事前に人間の知るところとなり、狐たちは殺される。以来、この地で狐を見かけることはなくなった、というもの。

 聞いていて、あまり気持ちのいい話ではないが、農村特有の自然(狐)との関わりをあらわしているのかと思われる。

 毎年正月、常盤八幡宮にて「裸参り」が行われる。鳥居に拝礼、年縄を奉納。どうか狐さん、先祖の仕打ちを恨まないでくれ、そんな気持ちがどこかにあるのかも。

 面積はせまいが、あの岩木山と津軽平野を見れば、心は大きくなってきそうな、そんな常盤村であった。

 (00年)

 

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2006年12月10日 (日)

川部

Img094_1  五能線が分岐する。浅瀬石川の川辺の川部駅である。

 あたりはりんごの果樹園。甘い匂い。駅舎もいかにも北国の停車場、といった風で、りんごと合わせて、いい津軽の味を出している。

 弘南鉄道黒石線も分岐していたが、最近、廃止。往時は実に3本の路線が交差する、にぎやかな駅だったわけだ。津軽における鉄道の要衝だ。それを思うと、残念でならない。

 しかし、りんごは今年の秋もにぎわしてくれるだろう。ちっとも気落ちすることはない。

 田舎館(いなかだて)村の隅にある駅だが、実質この駅が村の顔であろう。五所川原へ行く人は、ここで乗り換えとなる。

 横綱・栃ノ海(昭和30年代の力士)は、川部の出だし、三方から列車の集まるこの駅こそ、玄関に相応しい。

 駅までの道を教えてくれた、津軽訛のおばあちゃんが、すごく印象的で、思い出される。

 (00年)

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撫牛子

Img093_1  弘前市北、撫牛子(ないじょうし)駅。国道7号線のガードをくぐった所にある。

 牛も子どももいないから、撫牛子?悲しい駅名、と勝手に解釈してしまったが、実際はどうなのだろう。難読駅名。謎。

 北に平川の流れ。天然の要害。この平川と西の岩木川とで、弘前の街を囲っている。北の守りは完璧だ。

 街の城壁などいらぬ。川の内側にある津軽藩は万々歳。川が城壁の役目。川が堀の一部を形成している。

 ああそうか、撫牛子は、「内城市」。鉄の守りの固さ、弘前をあらわしていたんだ、と、これも勝手な推測。りんごの里、津軽平野。

 (00年)

 

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2006年12月 4日 (月)

弘前

Img092_1  青森県弘前市、人口17万。青森西部、「津軽」地方の中心都市。

 津軽10万石の城下町。「髭どの」こと、津軽為信(1550~1607)は、はじめ南部氏に属する武将だったが、後に独立。以後、何年にもわたって、抗争を続け、豊臣秀吉の天下統一となるや、いち早く臣従し、本領安堵の確約をとりつけた。

 宗家・南部氏の悔しがりようは、想像に難くない。両家の反目は江戸期を通して、つづいた。秋田県境で起きた、檜山騒動は、端的な例である。

 その弘前城は、桜の名所。本州最北の藩の城は、天守のある、見事な造りで、桜に合わせて、全国から大勢の人が訪れる。

 岩木山を仰ぎ見、津軽はりんごの産地。延々とりんご畑がひろがる。香ばしいにおい。

 津軽三味線の音色が響けば、もう気分は津軽人。夏は名物、ねぷた祭り。北国の睡魔をふっとばせ。

 青森市が政治の中心なら、弘前市は文化の中心。唯一、県庁所在地以外で、国立大学がある。作家、太宰治が高校時代を過ごした。「土俵の鬼」こと、横綱・若乃花。そして平成の若貴の父、大関・貴ノ花を生み出した町でもある。相撲は今でもさかん。

 津軽の気魂にのみこまれてしまいそうだ。

 (95年)

 

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石川

Img091_1  岩木山だ!津軽富士こと、岩木山の登場だ!雄大な姿。津軽の象徴である。ついに、津軽入りしたことを実感する。

 広い水田の中を鉄道は走っている。その、岩木山が見下ろす津軽の大地を、列車は突っ走るのだ。津軽三味線の音色に合わせて、踊れよ、踊れ、レールの上。

 石川駅は貨車改造の駅舎。こ線橋の割りに、駅舎が小さいのは、なんかアンバランス。

 JRとは少し離れたところに、弘南鉄道の「石川駅」がある。どちらが便利かはわからない。JRでは、この「石川駅」の隣は、弘前。間に駅は、ひとつもない。

 だが、弘南の「石川駅」はというと、、。終点の中央弘前まで、間に8つも駅がある。なんなのだろう、この差は。

 農地と集落を行く差か。おおざっぱと緻密の差か。急ぎの人は、JRで。弘前市内をじっくり、は弘南で。

 (00年)

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2006年11月30日 (木)

大鰐温泉

Img090_1  ワニ?ワニというと、あのジャングルの水辺などに住む、凶暴な生き物のこと?固いうろこ。大きな牙のある口でぱっくり。

 大きなワニ(のおきもの)がいる。だてに「大鰐町」を名乗っていない。駅前にいる。しかし、このワニ、少し様子が変だ。

 手に何か持っている。これは、スキー板。どうやら大鰐温泉スキー場を宣伝しているようだ。カモがネギ持っているのかと、思ったら、よく見たら、違っていた。

 そう、ここはスキーで有名な町。件の大鰐温泉スキー場では、プロからアマまで、冬季を通して、楽しめる。

 また、温泉街。駅周辺には湯の香り。大鰐温泉は実に800年の歴史をもつ、古い湯の里。湯治場として栄えてきた。津軽入りして、ほっとする場所であったのだろう。

 かつての横綱・若乃花(二代目)の出身地でもある。右上手をとれば、すごく強かったとか。ワニの力なのかもしれない。

 しかし、地名のいわれがわからない。本当にワニがいたのだろうか。

 (00年)

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長峰

Img089_1  国道7号線沿いの集落、長峰。駅はその中にあるわけだが、なかなか入りづらい。青森方向からは左折で、問題ないが、秋田方向から来ると、対向車に配慮して、右折。難しい。

 なんとか入った先に、貨車改造の駅舎の長峰駅があった。もう夜だ。暗闇の中に浮かび上がっていた感だ。

 十和田、八甲田へのアクセス、国道454号線が分岐。大鰐町はまわりは、山。盆地に人々は暮らしている。

 国道、鉄道、高速道の三線が揃い踏みを果たし、津軽へと誘われていく。左手の山肌にスキー場が見えてくる。そして、向かい側に温泉街があれば、大鰐町である。

 (00年)

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2006年11月28日 (火)

碇ヶ関

Img088_1  関所の村、碇ヶ関(いかりがせき)。南から津軽入りする者は、ここで調べられる。ここを通らないことには、津軽には行かれない。まさしく関門。

 碇ヶ関御関所は江戸期を通じて、津軽藩の面玄関の役割を担った。村一番の観光名所である。

 平家立ての面番所、足軽番所がしつらえ、重層な守りだったようだ。これではそうやすやすと通してはもらえなかっただろう。

 8月にはこの関所祭りが行われ、江戸みこし運行、流し踊り、郷土芸能等が披露される。どうも村民にとっては、愛着のある関所のようだ。

 現在も青森県最南、秋田県境にある碇ヶ関村は、津軽の入口にあることには変わりはない。東北自動車道も、青森入りしてはじめての、I.C.となる。ここで下りないと、曲者!とはならないが、下りてみる価値は充分にあると、思う。

 (00年)

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津軽湯の沢

Img087_1  秋田県との県境。矢立峠が間をふさぐ。

 険しく、さびしい峠道。が、よく見れば、温泉がいっぱい、にぎやか。矢立峠の矢立温泉は一番メジャー。他に日景温泉、相乗温泉。

 そして、駅名の湯ノ沢温泉。山道を入っていかないと、着かないが、秘湯の里、というところか。山の中の一浴び、もいいものだろう。

 「湯の沢」は「湯ノ沢」ではない。ここらの温泉、すべてを総称して「津軽湯の沢」というのではないか。湯の沢、、。

 小坂へぬける国道282号線が分岐、高速道路も顔を見せる。南から来たれば、いよいよ津軽入り。わくわくする思いだ。

 しかし、矢立峠の暗さは変わらず。江戸後期、津軽藩主はこの地を通った。あやしく、不気味な影がうごめいていることも知らず、、。

 (00年)

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2006年6月 7日 (水)

陣場

Img087  秋田・青森県境、矢立峠。秋田スギがうわる、羽州街道屈指の難所だ。だから昔も今も天然の国境。佐竹藩当時、陣屋がおかれた。

 物語では、この峠で、「桧山騒動」がおきたとされている。確かに、こんな険しい峠道で、陰湿な待ち伏せとは、いい演出だろう。史実はもっと南だが、舞台効果はこの秋田スギの矢立峠の方が上、か。

 事件は未遂に終わった。津軽藩主・津軽寧親公の行列を襲った、南部藩士、相馬大作。背景には津軽と南部との、深い確執がある、とされる。

 峠には、矢立温泉や日景温泉、とうれしいいで湯がある。ちっとも暗殺という陰湿なかげはない。

 谷間であり、風がたまる。長走風穴。この穴は、もしかして相馬大作の大砲であけた穴、なのかもしれない。そんな噂もある。

 (99年)

 

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白沢

Img086  駅の向かい側に小高い山がある。これが「桧山騒動」の現場、岩抜山だ。物語では、矢立峠になっているが、史実はこちら。

 1821年(文政4年)、南部藩士・相馬大作は、時の津軽藩主・津軽寧親の行列を待ち伏せした。事件は未遂に終わったが、彼の動機をめぐって、さまざまな憶測がなされ、映画や講談にもなった。

 やはり事の真相は、南部、津軽の確執だろう。これについては戦国時代、津軽独立に至る歴史をひもとかなければ、見えてこない。丁度、津軽藩主が、江戸城内において、南部藩主より、上座に座ることになった、その腹いせが、事件の発端ともいうが、それもこれも、遠因は歴史、にある。

 歴史といえば、戦時中の強制労働、花岡鉱山跡もこの近く。中国人をはじめとする多くの人々が犠牲となった。暗い影をおとす。

 (99年)

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大館

Img085  秋田県大館市、人口7万弱。秋田県第二の都市で、民謡・秋田音頭でおなじみの曲げわっぱの産地だ。

 秋田犬の産地としても知られ、駅前にはあの名犬、ハチ公の像がある。東京・渋谷駅前にあるのが有名になってしまったが、本場はこちらだ。ここも渋谷同様、待ち合わせの場所なのだろうか。しかし、駅は市街地よりずいぶん遠く離れている。

 毎年2月、アメッコ市が開かれる。このアメを食べると、その年一年風邪をひかないとか。一度行って、アメを買った。そのせいか、今も健康そのものだ。

 江戸期は、北の守りとして、佐竹西家がおかれたそうだが、あまり知られていない。また、思想家、安藤昌益を輩出したが、こちらもいまいち影がうすいような気がする。やはり犬が主役だろうか。桂城公園前には、秋田犬会館なる建物もあることだし。

 最近は鶏飯が有名になり、駅前でも売られていた。駅弁など最高だ。

 大館樹海ドーム開設、バイパス建設、など県北の要として、動き出しつつある大館。駅前始発の小坂鉄道が廃止され、なんとなく寂しい感があるが、あのアメのように、いつまでも風邪のひくことのない町であることを望む。

 (98年)

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2006年6月 6日 (火)

下川沿

Img084  「蟹工船」で知られるプロレタリア作家、小林多喜二(1903~1933)の出身地。言論の自由が許されなかった時代、彼は労働者の過酷な日常を描いた。

 官憲に弾圧され、その短い一生を終えている。

 もっとも彼自身は、5才で北海道の小樽に移住しているため、このあたりはあまり足跡はない。駅前に石碑がたつのみ。戦後まで生きていたら、きっと芥川賞作家になっていただろう。

 あと、大館には江戸時代に経世家、安藤昌益(?~1762)を出している。国の基本は農業、武士も農民になるべきだとの、帰農論をかかげた。働かざる者食うべからず。

 こちらは弾圧されなかった。江戸時代の方が言論の自由が保障された世の中、だったのかな、と思ってしまう。

 (98年)

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早口

Img083  どこかに眠る、隠し金山、、。噂は平成の今日に至っても、絶えない。

 南北朝時代に開坑、秋田藩の隠し金山。過去に一度、探検家が発見。それっきり見た者はいないのか。能代にはミステリー・スポット、クロマンタがあるし、どうもここもあやしい。

 深い山には長い間、人が足を踏み入れずにきた。そのことをわかったうえでの、お宝隠しだったのか。謎が謎を呼ぶ。駅舎のとんがり帽は、金山を意識したものか。

 米代川が東西に横たわる田代町。深刻な町の高齢化を、この前、テレビのドキュメントで紹介された。しかし、駅待合室でのおばあさんたちの明るい秋田弁の会話からは、苦渋さは感じ取れない。

 一人は、早口で何かまくしたてていた。

 (98年)

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糠沢

Img082  朝5時起き。一番列車でこの駅で降りた。一日に数本しか停まらず、大半はすっとばされてしまう運命にある。こ線橋もあって、そんなに弱い印象の駅ではないのだが、なぜなのだろう。

 駅舎は貨車を改造したもの。駅前は、一面、田んぼが広がっている。

 一日の乗降者数、平均72人。小さな待合室には、暖房もなければ、駅員の姿もない。一人寒さに震えながら、次の列車待ちをする。

 昔、このあたりで糠(ぬか)をつくっていたのだろうか。今日は農道はぬからむどころか、氷が張っていた。暇つぶしの本を持ってこなかったのが、ぬかった。

 (98年)

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2006年6月 2日 (金)

鷹ノ巣

Img081  秋田県北秋田郡・鷹巣町は人口2万人。50ある秋田県の町の中では最大で、その昔、県北の政庁があったとか。県北行政の中心地として、大館とその地位を争ったりしている。

 秋田藩当時から林業の産地で、米代川を使って、材木の切り出しを行った。ここの豊富な天然スギは、藩の重要な財政源だったのだ。今も町のいたるところに、営林局がたっている。

 ホームに太鼓がおかれ、一際目をひく。ここより北に綴子神社。神社の大太鼓は日本一の大きさ。綴子大太鼓。さぞ迫力のある音色が聞けるに違いない。たたく方も大変なような気もする。何人がかりだそうだ。

 町は「鷹巣」だが、駅名は「鷹ノ巣」。秋田内陸線の始発駅でもある。また、国道105号線が7号よりわかれて行く。

 最近、同地に「大館・能代空港」が誕生した。地元の人は、この名称に反発、「秋田北空港」と呼ぶ。「鷹巣空港」でいいのでは、と思う。一本気でいい。

 県北の鷹は、今、大きく巣立ちをはじめようとしている。

 (97年)

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前山

Img080  無人駅。駅舎は貨車造り。こ線橋があって、片面ホームでないのが、せめてもの救いか。電話ボックスは、駅と距離をとって、国道沿いにある。

 名前のとおり、駅正面は山で、(これが前山)国道7号線にはトンネルが設けられている。後ろ側はすぐおちこんで、川になっている。ホームに立ち、驚いた。米代川の川べりだったのだ。

 よく見ると、水量計がある。いつぞやの洪水では、ここまで水かさがあった、と記録されてある。再現してみると、今立っている私の胸のあたり。なんと恐ろしい。

 「前山」、と山に気をとられていて大丈夫なのだろうか。

 (98年)

 

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2006年5月29日 (月)

二ツ井

Img079  君を待つ坂、きみまち坂。米代川の流れる、二ツ井町。きみまち坂公園は川の対岸にあり、今や町の顔だ。

 ロマンチックな名前からもわかるように、ここは恋のなる場所。毎年9月に全国公募で「恋文コンテスト」が行われる。

 勿論、観光用にこしらえた企画だが、これがおおいに受けた。若い人からお年寄りまで、老若男女問わず、応募が殺到。淡い恋、切ない恋、ほのぼのとした恋、中には亡き夫へあてて書かれた作品もある、とか。集められた作品は一冊の本となり、書店の店頭にならぶ。一読したが、なかなかの作品。

 審査員も本県ゆかりの著名作家が、ひきうけ、厚みのあるコンテスト。それにしても恋文なんて、よく人目にさらせるものだ。私なら、恥ずかしくてできない。

 ホームに列車がきた。私のような者は、神聖なる場所から早く去れ、ということかな。

 (97年)

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富根

Img078  米代川が見える。秋田県北を流れる大河。このところの大雨で、けっこう水かさが増えている。

 富根駅はJAストア(要するにスーパー)と駅舎とをミックスにしたステーションだ。駅なのか店なのか、わからなくなる。

 切符売り場と店のレジがとなりあっていて、奇妙な光景だ。「JA富根ストア」の文字が「JR富根駅」の文字を凌駕している。

 駅の守衛に「考える少年」像。雨風でだいぶ傷んではいるものの、ここがちょっとした待ち合わせの場所。ちょっとこわいような像。夜中、動き出したりして。

 誰もいない待合室で、私も像と同じ格好で、列車待ちをする。時が移るのが遅く感じられる。

 (97年)

 

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鶴形

Img077  まわりに木が多いせいか、付近がかげって見える。早朝の無人駅。降りたのは、私だけだった。

 ホームが一段高くなっていることから、駅舎は二階建てだ。旧羽州街道を米代川沿いに歩いてみた。と、途中で道は途切れ、国道と合流してしまった。古き良き道は時代と共に去りぬ。

 旧鉄道トンネルがあった。穴をふさいで、何か貯蔵庫のようになっている。なんでも、このトンネルが廃止になって、地元の人が買い取り、ビールの倉庫にしてしまったとか。

 確かにひんやりとしていて、天然冷蔵庫としてはうってつけだ。今日は暑いので、私もあの中に入っていたい気分。発酵して、ミイラになってしまいそうだが。

 とにかく、暑い中、また歩いた。

 (97年)

 

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2006年3月17日 (金)

東能代

Img043  秋田県能代市5万強。本州日本海側、最北の都市。

 市街地から離れたところに、奥羽線の東能代駅。主要幹線の駅であるのだが、事実上の表玄関は五能線、能代駅となるため、ここで乗り換えしないといけない。

 この立地条件のまずさから、東能代駅周辺は閑散としている。駅の少し先を国道7号線が東西に走っている。なんだか街道の一駅にすぎないような印象をもつ。

 南に行くと、檜山。秋田音頭の檜山納豆で知られるが、ここに檜山城があった。戦国時代、蝦夷から津軽、そして秋田に至るまで、広大な領域を支配した安東氏の居城。現・秋田市周辺に進出してからは、こちらを檜山安東、あちらを湊安東と呼ぶ。

 この両家による内紛はすさまじく、ついに湊合戦に及ぶ。(1589年)この戦いを治め、安東家をひとつにまとめたのが、安東(後の秋田)実季(1576~1659)。檜山城は焼かれ、湊城にうつり、ここに安東氏の秋田支配が固まる。

 現在もこの地では、檜山祭りで、当時を再現している。しかし、今や城は残されていない。何もなければ、ただの山。しかし、歴史は、あったのだ。

 (97年)

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北金岡

Img042  沼が多い。駅周辺を歩いてみて、つくづく感じた。ジュンサイの沼だと思う。

 たしかに田園地帯には違いないのだが、むしろ湿地帯と呼ぶべきかもしれない。

 こういうところにはあれが、、。やっぱりいた、いた。私の苦手なヘビが。路上にくたびれている。急遽道を変更。こんな陽気にふらふら農道を歩いたせいか。暇つぶしの散歩が、とんでもないハイキングに変わってしまった。迂回して駅に戻る。

 しかし駅までが遠い、、。クルマがとまって、「乗せってってやるか?」親切な声がかかった。私はなぜか歩きたかった。断った。その後も歩いた。

 (97年)

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森岳

Img041  山本郡、山本町。森岳温泉が目玉の町だ。

 旧羽州街道は、このあたりを通っていたのだろうか。今は色あせた感がある。駅舎はけっこう大きい。スタンプも置かれている。

 森岳温泉は昭和27年に石油の採掘中に、偶然発見された。当時はまだ石油が出ていたようだ。この温泉には一度、父と行ったことがある。山の中に不似合いな豪華ホテルがたつ、といった印象を受けた。タオル片手に湯につかりに、と軽い気持ちで中に入りあぐねる。結局、帰ってしまった。

 このあたりはジュンサイの産地。沼に浮かぶ水草。収穫は夏前になるらしい。写真で見たが、結構絵になる風景だった。

 (97年)

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鹿渡

Img040  琴丘町、鹿渡。町に沿って、大きな八郎潟用水路。そのむこうが大潟村の八郎潟干拓地だ。

 「鹿渡」のいわれは、湖をひんぱんに鹿がわたったからだ、とかいわれているが、よくわかっていない。知ったかぶりで書けばカドがたつから、やめておこう。

 実際、湖は冬になると一面凍ったらしい。鎌倉時代、軍隊が上方に攻め込もうと、氷の湖を渡ったところ、突然氷が割れ、一度に何千人かが水中に没した、とか。

 それが事実なら、今の八郎潟は彼等の遺骸の上にある、ということになる。

 鹿は渡れても、人は渡れない。だから「鹿渡」なのか。鹿は渡り、新たな世界への門出となる。人生の大きな曲がり角。

 (97年)

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2006年3月13日 (月)

鯉川

Img039  国道を真下に見下ろす、小さな丘。そこの林の中にある無人駅、鯉川。

 八郎湖の鯉からこの名がついたのだろうか。桃山時代、織田信長の子の信雄(1558~1630)が一時流された場所と聞くが、本当だろうか。

 ここより南に少し行くと、三倉鼻。田園地帯にがけが突き出たところがあるが、昔から八郎湖展望の絶好の場所とされている。

 正岡子規(1867~1902)はここから「秋高う 入海晴れて 鶴一羽」と詠んだのではないか。見とおしはいい。しかし、今は湖はない。

 なるほど、八郎潟が目の前にひろがる。そしてそれを見つめる無人駅。

 (95年)

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2006年2月 1日 (水)

八郎潟

Img017 ありし日の八郎湖は、実に琵琶湖に次ぐ日本第二の広さをほこっていた。

 水深が浅く、海への出口は一箇所だけで、魚類のたまり場のようだった。打瀬舟が出て、網をおろしていたとか。

 しかし、戦後の食糧難から湖は干拓。浅さが命取りとなったか。オランダの干拓技術を用い、ここに八郎潟が完成する。

 今、大潟村となっている、この一大埋立地は、一面の田園で、菜の花畑やソーラーカーラリーで有名だ。しかし、時うつって今は米余りの時代。果たして干拓の決定は正しかったのかどうか、、。誰にもわからない。

 駅のある八郎潟町は夏に一日市盆踊りで盛り上がる。

 ところで湖には八郎太郎という竜が住むという伝説がある。彼は今どこにいるのだろう。かねて恋の噂のあった、辰子姫の田沢湖だろうか。

 東は朝市の五城目町。森山という小高い山が目印。

 干拓の歴史を背負いながら生きていく八郎潟。今となっては、よい米の出来を願うだけだ。

 (95年)

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井川さくら

Img016  井川町に駅がない。それでは作ろう、と新設された。

 こう書くと簡単だが、実際は住民にとって悲願の駅誕生だったのだ。

 その想いは駅名を全国公募にしたことにもあらわれている。桜がいちおしで(同町、日本国花苑にちなみ)「井川さくら」に。

 この駅と同姓同名の井川さくらちゃんという女の子がいた。気になって駅を訪れた、と新聞にあった。なんという面白いご対面だろう。

 井川町は相撲に強い土地柄で、最近では小結・花乃湖を出した。それで、相撲関係の駅名にしようとの案もあったのだが、こんなかわいらしいエピソードができるとは、「井川さくら」でよかった。名は体を表す。

 (96年)

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2006年1月30日 (月)

羽後飯塚

Img015  南秋田郡は、せまい所に町がひしめきあっている。一町ごとに駅がある。

 こちらは飯田川町の羽後飯塚駅。駅舎の桜がいい。見ごろだったら、絵になるだろうな、と思う。

 桜といえば、同地域内にある、元木山公園もいいが、この駅からは少し遠い。徒歩で行くには難がある。

 また、役場も遠い。しかし、田園風景は美しい。むこうに八郎潟調整池(旧・八郎湖)が見えてきた。さらに男鹿・寒風山のすがたも!

 はじめは父親とよくここらの用水路に釣りに来た。今はとんと来なくなった。

 (94年)

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大久保

Img014  東京に同じ名前のある、こちらは昭和町の大久保駅。国道7号線がバイパスとなって、外れてしまうため、駅のある街中へは一本の街道が南北に貫いている。

 農政家として知られる石川理紀之助(1845~1915)の活躍の地。生まれは秋田市の金足で、幼少期に石川家に養子入りした。

 明治維新後の秋田県庁に入庁。役人として農作物の品種改良や農地問題等に取り組んだ。荒地を開墾していったというから、精力的な活動だったのだろう。県の農業育成者として、今も称えられている。

 農業県である秋田にとって、米は命だ。先人の意思がずっと続いていくことを願ってやまない。

 (94年)

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2006年1月27日 (金)

追分

Img013  秋田市北部。男鹿線との分岐駅がここ追分駅。

 車道も、天王・男鹿行きと分岐点になっている。地名もそのあたりの事情をよく反映している。

 スタンプには、「県立博物館の駅」とある。男潟、女潟の両沼にはさまれて、博物館。水草の美しい水心苑や、豪農の旧奈良邸なども、ちょっと足をのばせば見ることができる。

 それにしても秋田の博物館が市中心部ではなく、こんな北はずれにあるとは、どうも納得がいかない。

 野球の強い金足農業高校は当駅が最寄り。夏の日差しを受けて、田の稲に実りあることを。

 (94年)

 

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上飯島

Img012  飯島は住宅地だが、海側にはセメントやパルプなどの工場がたちならぶ。白い煙がもくもくと吐き出され、臨海線のレールを貨物列車が走っていく。港と工業とは切っても切り離せない、というところ。

 この上飯島駅は駅舎がない。上、下、それぞれにホームがあり、待合室が設けられているだけ。周辺は三車線の国道7号線、沿線の大型店と、にぎやかなのだが、その狭間に埋没してしまったかのような印象をもつ。

 ところで、この駅の隣の電気店では、記念すべき我が家第一号のパソコンを買った。

 あれからかれこれ何年、、。今ではわざわざここまで来る必要はなくなった。

 (94年)

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土崎

Img011  土崎は港町だ。秋田市の一部ではあるが、あちらは城下町の竿燈まつり、こちらは土崎みなとまつり、と独立した形で文化が形成されている。

 土崎みなとまつりは、豪勢な武者人形が山車にのり、町内を練り歩く、どちらかというと、ねぶた祭りに近いおまつりで、毎年7月に行われる。必見。

 秋田港にはポートタワー・セリオンという塔がたっている。秋田市を一望の下におさめられる。

 秋田城址は、駅から南にある。平安時代の、最北の政庁(今でいうところの県庁)があったようで、昔発掘作業に参加した記憶がある。今はこんもりとした山が残されているだけだが、当時は活気があったのだろう。

 駅前には湊城跡。戦国大名、安東氏の居城があった。しかし、往時を偲ばせるものはなく、児童公園に石碑があるだけだ。佐竹氏が秋田入りした際、短期間ではあるが、ここが居城だったそうだ。

 湊、土崎。秋田市の海の玄関である。

 (94年)

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