喜屋武岬に沖縄の夕暮れ 国際通りの夜
08年4月、沖縄旅行、初日つづき。
おきなわワールドを後にした。もっと東に進みたかったが、時間がない。東端には斎場御嶽(せーふぁーうたき)がある。アマミキヨという沖縄創生の神様が降臨した、といわれる神域。かなり重々しく、そして神々しい所であるようだ。
二枚の折り重なった岩の先には、島が見える。これが久高島。琉球国造り神話の舞台とされる小さな島。この島は特殊で、高い山もなく、低地である。今も古くからの風習を守りつづけているとされる。その代表が「イザイホー」といわれる巫女の儀式であろう。およそ30年前に行ったのが最後で、その後は行われていないと聞くが、、、。
後でネット等で調べて見てみたが、いやすごい儀式だ。、、本当に神が住むのかもしれぬ。こういった独特の風習が、各地に残っているのだろう。大いに興味がひかれた。沖縄には古くから「ノロ」や「ユタ」といった、神の声を伝える神官(?)が多数存在したという。エキゾチックな島のイメージよりも、こうしたシャーマニズム的な要素も兼ね備えていたのだ。ますます沖縄に興味をもってしまった。
しかし、今はもう夕暮れ。時間に追われる。西へ、糸満へ戻った。夕日が大きく、見える。本島初日を最後とする、今日の夕日。南国の日没はいいものだ、、、。
初日最後にもう一箇所寄ってみよう、と、喜屋武(きゃん)岬を目指した。ひめゆりの塔よりもさらに西。本島南部、西端である。が、場所がわかりにくい!さとうきび畑に入り、迷ってしまう。日が翳り、焦る。、、ハブでも出てきそうな草むら脇の道路を南へ。(クルマだから安全とは思うが、、。)
だが、こうした道中も面白い。沖縄の民家をかすめ、在の集落の生活を知る。南国のゆったりとした雰囲気。
不安にさせられたが、しばらく進んで、海にぶつかり、そこが岬。無事到着。他にも人の姿が見られた。ここが沖縄戦、最後の地とされる。切り立った断崖が海に落ちている。多くの人が飛び降りて、命を落としたのだろう。合掌。夕日は水平線に落ち、宵闇が支配している。鎮魂の島、沖縄。、、南部は戦争の傷跡だらけだった。それだけ凄惨な戦争だったというわけだ。外国人の姿が見られたのは、世界平和を考える上で、意義深いものなのかもしれない。
そばに平和の碑がある。水色の丸い形をしている。ここで亡くなった人たち、さらに戦争全体で亡くなった人たちの霊魂が、成仏するよう、願ってやまない。この悲惨な戦争を通じて、沖縄はどうなったのだろう。本土復帰まで27年の歳月も経た。現在も米軍基地が多数存在する。沖縄に真の戦後が訪れるのは、いつの日になるのだろうか。
元来た畑の道を戻り、糸満へ。そして那覇へ向かった。夜空をこがす、那覇の夜景を目指して。こうして見ると、大きな町だ。人口は30数万と聞くが、実際はもっといそうな気がする。沖縄県の県庁所在地。
「奇跡の復興」のシンボルともいう、沖縄随一の歓楽街、国際通り。その一角に今夜の宿がある。さすがに混雑している。外国人(米兵も?)の姿も多数、国際色が強い。ようやくホテルを見つけ、ようようの思いで、裏の駐車場にクルマを預けた。夕食を食べるため、この国際通りに繰り出した。暑い、沖縄の夜である。治安が悪そうな気もしないでもない。かなり騒がしい。老いた男性が、一人アジ演説をしていたり、路上バンドならぬ「路上沖縄民謡」、太鼓の音がどん、どん、鳴り響かせていたり。(夜中までつづき、寝室まで響き眠れなかった。)
本当に、賑やかな、沖縄の夜である。私はステーキを食べた。牛型の鉄板に載せられた、沖縄牛(石垣牛??)。もぐもぐ食し、窓外の騒がしい国際通りを眺めていた。
美味しい。牛肉はどこも美味しかったけど、この沖縄の肉も、またいい。
その後、ホテルへ戻り、すぐ眠った。通りの喧騒は、寝室まで駆け上がってきた。
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